翌朝、抜けるような青空が広がると、チェルヴィーノの男性的な偉容が、眼前にあり、頭上からのしかかるように、圧倒的な重量感で迫ってくる。一行五人の案内役を引き受けてくれた、ジェンザネッラ・スポーツのペッピは挨拶が終わると、こう言った。

「何日、チェルヴィニアに滞在するのかネ」
「二泊して、クールマイユールへ行くだよ」
「ひゅーい。あに、たったの二日ぁ?」
そんなもんで、このチェルヴィニアが見られると思ってんのか。初対面なので口には出さないが、ペッピはそう言いたかったということが、後でよく分かった。
「そーなのであります。なにしろ時間が、あんましなくって」
「ホンじゃまあ、行ってみっか」
てな感じで、鼻歌混じりに、口笛吹きながら歩き出す。

先ず、何といっても、驚かされたのは、月並みな表現だが、チェルヴィニアのスキー場の大きさだった。基点となる村は、標高が2006mある。滑り出しトップのプラトーローザで3480mだから、標高差はなんと1474mもある。滑走可能距離はチェルヴィニアだけで83km。連携するヴァルトルナンシュの35kmを加えれば、楽に110kmを超えてしまう。

一行の五人は誰も、四千メーター級の山など行ったことがない。富士山すら登ったことがないのに、いきなりチェルヴィーノである。

ミラノから車で走ってきて、ゴンドラを二回乗り継ぐだけで、高度3480mのプラトーローザに到達する。目の前には写真かTVでしか見たことがないマッターホルンが、どどーんと聳えている。酸素は薄く呼吸も苦しい。ま、興奮状態に陥るのも、しかたないか。

チェルヴィニア〜プランメゾン〜プラトーローザと登っていくに連れ、眼下には無限と思われる雪原が、優しく微笑みかけるように広がっている。この大自然の広大無辺に圧倒されるのが小さな人間である。

チェルヴィニアに行くと、この壮大希有な自然の造形と対峙するには、ヒトはあまりにも非力で、小さな存在だと気付くはずだ。自然と共生することが、ヒトの生き延びる道であるならば、これ以上、地球環境を汚染し続けるのはマズイという気にもなるはずである。

アオスタが冬季五輪開催地に立候補した時、
「われわれは、木一本切らずに、オリンピックを開催することができる」
と主張していたことを、改めて思い出す。

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青空が広がるとチェルヴィーノが眼前に迫ってくる。 |
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無限と思われる雪原が優しく微笑みかけるように広がっている。
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