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「はるばる来たぜ、チェルヴィニア」の巻

 いよいよ、スキーシーズンの開幕である。そして、長野オリンピックも間近である。オリンピックといえば、98年冬季五輪の開催地に、イタリアのアオスタが立候補していたのを覚えている読者も多いだろう。

 もし、アオスタで冬季五輪が開催されていたら、アルペン種目はクールマイユールラトゥイールで、ボブスレーはチェルヴィニア、そしてノルディックはコーニュが会場として予定されていた。

 イタリアと隣接するフランス、スイス、オーストリアとの国境がヨーロッパアルプスで、アルプスの南側はイタリアが独占していると言ったが、実際は六つの州がそれを分け合っている。西から東へ弧を描く、ピエモンテヴァッレ・ダオスタロムバルディアトレンティーノヴェネト、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリアの六州である。

 アオスタを州都とする、Valle d'Aosta=ヴァッレ・ダオスタ。Valleは渓谷だから、アオスタの渓谷を意味するこの州は、その名の通り山岳地帯の、渓谷沿いに町が点在する小さいが豊かな州である。日本の四国のような形をしたアオスタ州は、北側でスイス、西側はフランスと国境を接している。

 アルプスの名峰、モンテビアンコ4807m=モンブラン、チェルヴィーノ=マッターホルン・4478m、モンテローザ、4634m、など4000m級の名峰が14座もある。日本ではあまり知られてないが、実は
「ここが、アルプスです。オカーサン」
みたいな州なのだ。

 スキーヤーならば、一度は行って滑ってみたい、チェルヴィニアクールマイユールピララトゥイール、シャンポリュー、モンテローザ、いずれ劣らぬ、壮大な規模のスキー場が目白押しである。

 チェルヴィニアミラノから190km。アウトストラーダA4/A5でChatillon=シャティオンまで行き、SS406に乗って、ヴァルトルナンシュのスキー場を過ぎ、ずんずんと登った行き止まりが、チェルヴィニアである。国境の向こう側はスイスのツエルマットだ。

 登る途中、チェルヴィーノの雄姿が道の正面にドーンと見えるところが一ヶ所だけある。自分が運転していれば、いつでも好きなときに止まれるが、運転手のいる場合はそうもいかない。カメラを用意して、シャッターチャンスを逃さないようにしよう。


 チェルヴィニアを初めて訪れたのは、84年の十一月である。朝日広告社の、剣持孝雄、江種史郎、遠藤恵雄、越前真生の四人と一緒だった。ローマのアリタリア本社で、広告の打ち合わせの後、チェルヴィニア、クールマイユール、ミラノを視察することなったのである。

 ミラノへは、ルチアーノが車で迎えに来てくれた。イタリア人の運転は、いつ見ても小気味良い。ルチアーノだって、決して若いとは言えないのに、ぶんぶん飛ばし、ぐいぐい登って、昼前にはチェルヴィニアに着いてしまった。

 ここは、車がないと、来るのが結構、面倒である。イタリア人はミラノやトリノからぶんぶんと車で飛んでこれるが、ジャポネーゼの場合、そうもいかない。日本からレンタカーを手配したって、スノータイヤというのは、なかなか回答がこない。かわりに、チェーンは比較的用意してくれるようである。

 レンタカーでなければ、汽車だ。ミラノ中央駅から、トリノ経由でシャティオンまで行き、そこからチェルヴィニア行きのバスに乗る。でなければ、ミラノのバスターミナル、カステッロ、スフォルツエスコから、一日二本あるバスに乗るしかない。どちらにしても、季節によるが、直通は余りないと思った方がよい。

 ミラノから車でチェルヴィニアに着くと、巨大な黒い岩の壁が、村全体を覆っているように見えた。立ちはだかる岩壁の上の方は、雲の中へとけ込んで下からは見えない。村の建物は雲の中にかすみ、幽玄の世界に踏み迷った気分になる。次の朝、雲が晴れるまで、チェルヴィニアの村は、てっきり、チェルヴィーノの中腹にあるのだと思ってしまった。
巨大な黒い岩の壁が村全体を覆っているように見えた。


 翌朝、抜けるような青空が広がると、チェルヴィーノの男性的な偉容が、眼前にあり、頭上からのしかかるように、圧倒的な重量感で迫ってくる。一行五人の案内役を引き受けてくれた、ジェンザネッラ・スポーツのペッピは挨拶が終わると、こう言った。

「何日、チェルヴィニアに滞在するのかネ」
「二泊して、クールマイユールへ行くだよ」
「ひゅーい。あに、たったの二日ぁ?」
そんなもんで、このチェルヴィニアが見られると思ってんのか。初対面なので口には出さないが、ペッピはそう言いたかったということが、後でよく分かった。
「そーなのであります。なにしろ時間が、あんましなくって」
「ホンじゃまあ、行ってみっか」
てな感じで、鼻歌混じりに、口笛吹きながら歩き出す。

 先ず、何といっても、驚かされたのは、月並みな表現だが、チェルヴィニアのスキー場の大きさだった。基点となる村は、標高が2006mある。滑り出しトップのプラトーローザで3480mだから、標高差はなんと1474mもある。滑走可能距離はチェルヴィニアだけで83km。連携するヴァルトルナンシュの35kmを加えれば、楽に110kmを超えてしまう。

 一行の五人は誰も、四千メーター級の山など行ったことがない。富士山すら登ったことがないのに、いきなりチェルヴィーノである。

 ミラノから車で走ってきて、ゴンドラを二回乗り継ぐだけで、高度3480mのプラトーローザに到達する。目の前には写真かTVでしか見たことがないマッターホルンが、どどーんと聳えている。酸素は薄く呼吸も苦しい。ま、興奮状態に陥るのも、しかたないか。

 チェルヴィニア〜プランメゾン〜プラトーローザと登っていくに連れ、眼下には無限と思われる雪原が、優しく微笑みかけるように広がっている。この大自然の広大無辺に圧倒されるのが小さな人間である。

 チェルヴィニアに行くと、この壮大希有な自然の造形と対峙するには、ヒトはあまりにも非力で、小さな存在だと気付くはずだ。自然と共生することが、ヒトの生き延びる道であるならば、これ以上、地球環境を汚染し続けるのはマズイという気にもなるはずである。

 アオスタが冬季五輪開催地に立候補した時、
「われわれは、木一本切らずに、オリンピックを開催することができる」
と主張していたことを、改めて思い出す。


青空が広がるとチェルヴィーノが眼前に迫ってくる。

無限と思われる雪原が優しく微笑みかけるように広がっている。

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