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「新年早々行って来ましたアオスタ」の巻
アオスタ、アウグストの凱旋門、ヴァッレダオスタ、イタリア

ローマの象徴、オオカミから乳を貰うとロムス、レムス像が
Valee Branche ,Courmayeur Italia : March 2003

 新年一月九日。前日の関東周辺大雪交通網大混乱の東京を後にしてミラノへ向かう。

 出発の前日一月八日、昼飯の頃から雪がちらつき始めた。予報通りの空模様だ。大雪警戒注意報が出て、今夜中は降り続くようなことを言っている。明日はアオスタスーパースキーとフィレンツェ十日間のツアー出発日。今夜は成田へ泊まった方がいいかなと思いながら、仕事は片づかない時間は過ぎるで、仕事場を離れたのは六時半過ぎ。

 新橋の東海道線ホームに上ると、遅れている平塚行きが入ってきたので、それに乗る。湿った雪がパンタグラフに積もり、電車は品川、川崎間で立ち往生。川崎を出たら又停まり、横浜駅に着いたら一時間以上動かなくなってしまった。その後も戸塚、大船、藤沢と駅ごとに停まり、茅ヶ崎到着は夜の十時を回っていた。

 雪の積もった道をよたよたと家に辿り着いたのは十時半過ぎ、成田前泊の線は消えた。去年の暮の内に、大船八時七分発の成田エクスプレスを予約してあった。それに乗るしかない。茅ヶ崎大船間は辻堂、藤沢の二駅だけだ。七時に家を出れば十分だろう。


 朝のニュースでは東海道線も遅れている。早めに家を出たが、既に、ホームには人が溢れ、通勤客が続々と押し寄せてくる。電車は時々来るが、はち切れそうにぱんぱんに乗車している。ちょろっと吐き出された分しか乗れないので、ホームには人がとぐろ巻きでぎゅうぎゅう状態になる一方だ。

 七時四〇分になっても電車のドア回りにすら近付けないので、もはやこれまでと、前日から成田に泊まってるはずのイタリアスキークラブのテキパキ美人、たまちゃん、こと高玉ゆき子の携帯に電話する。

「オレは今日は行けない。ハーハー。まだ茅ヶ崎駅のホームにいる。とても無理だ。みんなにそう言ってくれ。ゼーゼー。遅れてきた人と一緒に明日の便で行くからって。ハーハー。そう言ってくれー」

 公衆電話に並んで叫ぶと、電話は次の人に奪い取られてしまった。

 今から成田に行っても間に合わないし、しょーがねー、帰ってもう一眠りしちゃうか。一旦は、そう思ったが、
「馬場平之助と行くアオスタスーパースキー」
に本人がいないんじゃ、こりゃ、やっぱ、相当マジーわ。

 間に合わなくても、成田までは行かなきゃなと、ホームを離れないでいたら、突如として奇跡が起きた。モーゼが葦の海、紅海を分けてエジプトを脱出したように、眼前に道ができたのである。とぐろ巻きホームの渦の中でもみくちゃになってる内に、一条の光が射して、ドアへ向けて道が開けたのである。

「天は自ら佑ける者をたすく」
努力しないで天が助けるのを待ってばかりではいけないと声がした。高村光太郎の
「ぼくの後に道がある」
というフレーズも頭の中で共鳴した。ちょっと意味が違う気もするが、
「努力に勝る天才はなし」
というのも聞こえた。そして身を投げたのである。

 バゲージと板は成田に送ってあったが、それでも、一抱えはあるハードキャスターケースを持っている。普段に比べれば身重の妊婦同然だが、その時、天の声に従ってラグビーのトライのように、渾身の力で突撃しなかったら、その後の失地回復はかなり難しかったに違いない。一瞬の間隙を突いた敏捷かつ大胆なトライ、つまり、横入りを神も今回だけはお許しになったのだろう。

 大船に着いたのは八時十七分過ぎ。NEXは出てしまっただろうと、5番線に行くと、未だ電車が停まってる。こっちも遅れていたのだ。またもや奇跡。乗り込むと、
「本日は大雪のため発車が遅れてご迷惑おかけしております。もう間もなくの発車となりますので、ご乗車になってお待ち下さい」
と車内アナウンス。

 民営化営利優先採算重視経費節減人員削減、保守点検に金をかけないJR。昨夜から、雪に極端に弱いJRを呪い怒っていたのは忘れ、
「ああいいよ。こんな大雪じゃ少々の遅れは、ま、しかたないよな。ふむ、ふむ」
と寛大な気持ちで、許したのは言うまでもない。

 成田では何事もなかったように、皆の前に立っていたが、内心は大変であった。こういう経験は、もー二度といやだ、心臓に悪い。成田前泊は大雪の際の貴重な教訓となった。


 成田出発が少し遅れたアリタリア航空機は、五時五分、定刻より10分早くミラノへ到着した。待っていた車に一行24人分のスキーとバゲージを積む。全員が乗り込むと、おもむろにアオスタへ向かって走り始める。

 ノヴァーラから乗ったアウトストラーダA4をひた走る途中、強烈な睡魔に襲われ眠ってしまう。あっと気が付くともうアオスタだ。ドライバーがホテルの位置を知らず、街の中でうろうろしたが、それでも八時半にはホテルエウローパに到着した。実に近い。

 ホテル・エウローパ=HOTEL EUROPAは、アオスタの中心にある格式あるホテルだ。イタリアのどこの街へ行っても、同名のホテル・エウローパがあるが、これは別にホテルチェーンという訳ではない。読んで字のごとくヨーロッパという意味のイタリア語である。出て左に10mも行くとPiazza Chanoux=シャヌー広場で街の中心である。右へ150mも行けばアオスタ駅なのでアクセスは非常にいい。

 アオスタ州については一月号を読んで頂くとして、州都アオスタはローマ時代から二千年以上の歴史をもつ古都である。アウグストス帝の時代に作られた長方形の街は碁盤の目状に道が走り、周囲には当時の城壁が残っている。街の中心に今も残るPorta Pretoria=プレトリア門、アオスタにしかない屋根付きの古代円形劇場=フォロロマーノが日常の中に混在する、落ち着いた雰囲気のある街である。

 歴史の街であると当時に、アルプスの水を集め蛇行して流れる、Fiume Dora Baltea=ドーラ・バルテア川沿いに走る、イタリアとフランス、スイスを結ぶ街道の要である。トリノからアオスタまでは一時間強。ここからクールマイユール〜モンブラン・トンネルを抜ければシャモニー〜ジュネーヴへと二時間強で行ける。更に、グランサンベルナルド・トンネルでスイスのマルティニーへも通じる要衝の位置を占めている。

 今日からここに六泊してクールマイユールチェルヴィニアピーララトゥイールの四大スキー場を滑る。アフタースキーは、華の都フィレンツェへ二泊して遊んでしまう。四大スキー場とふたつの古都をいっぺんに体験する、ユニーク贅沢アオスタスーパースキーとフィレンツェの開幕である。

 さあ、いよいよ、明日から思い切り滑るのだ。ベッドに入り眼を閉じると、日本を出るまでの悪戦苦闘はすっかり忘れ、幸福な気持ちがひたひたと満ちてくるのであった。


アオスタは二千年以上の歴史がある古都

アオスタにしかない屋根付きの古代円形劇場

落ち着いた雰囲気のアオスタの街。


イタリア、ヴァッレダオスタ、アオスタ、フロマージュの塔、ローマ遺跡旅行
イタリア、ヴァッレダオスタ、アオスタ

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