トップページへ
COLUMN
イタリアスキー探索隊
イタリア探索マップ
ドロミテ探索隊
アオスタ探索隊
シチリア探索隊
トスカーナ探索隊
南イタリア探索隊
イタリアワイン探索隊
イタリアに行くならご用心!
コラムバックナンバー
日本国探索隊
探索隊写真館
探索隊お勧めレストラン
探索隊に参加する

「クールマイユール。ヴァレー・ブランシュ氷河大滑降」の巻、終章
クールマイユール、ヴァレー・ブランシュ氷河へ
Verso Valee Branche ,Courmayeur Italia : March 2003

ヴァレー・ブランシュ氷河
Valee Branche ,Courmayeur Italia : March 2003

 ヴァレー・ブランシュ踏破に燃える一行は、晴れるや即、プンタ・エルブロンナーへ登っていった。前日の降雪のことは脳裏になく、ためらいは微塵もなかった。

 この世のものとは思えぬパノラマが展開する大雪原のただ中で、行く手を阻む厖大な新雪と長時間にわたり格闘しながら、全員が無事完走を果たしたのであった。

 モンタン・ヴェールからシャモニーへの登山電車に乗るや、精根尽きて倒れ込んでしまったのも無理はない。楓山一登や野尻久枝には、さぞかし過酷であった筈だが、地獄の220階段を登っても弱音ひとつ聞こえてこなかった。最早もの言う気力も、なかったのかもしれない。暫くして回復するや、楓山はいつもの口振りで言うのであった。

「長いことスキーやってきましたが」
「ふむ、ふむ」
「制動プルークや斜滑降。横滑りに、踵の押し出しの訓練をこんなに長い距離やったことは」
「長いスキー人生の中で」
「なかったですね。スキーはスポーツと言うけれど、ヴァレー・ブランシュのスキーはスポーツではありません」
「それでは、いったい」
「スポーツとは、まったくかけ離れた難儀の氷河滑りのスキーでした」
「たしかに、聖地巡礼のような」
「道中苦難の連続でしたが、凄い氷河の生の姿を目の前にし、横に見て針峰群の高峰をこの目で身近に見ることができたのは」
「いつでも、誰でも」
「できることではないですね。こんな貴重な経験ができたことは、スキー人生の中に輝かしい一ページが作られたということです。」
「いや、そういうことなんですね。やっぱり」
「でも、できれば、この次はコースができてシャモニーまで、滑れるときにもう一度滑りたいもんだねぇ」


クールマイユール、ヴァレー・ブランシュ氷河
Valee Branche ,Courmayeur Italia : March 2003

Valee Branche ,Courmayeur Italia : March 2003

 ヴァレー・ブランシュは、多くのスキー場を踏破してきた隊員たちにも、鮮烈な体験であったようだ。その後、いくつかの感想が寄せられたので、紹介して書き留めておきたい。


 「ヴァレー・ブランシュの記憶は今でもハッキリしています。中でも、プンタ・エルブロンナーから見たモンブランやエギュイ・デ・ミディ等の豪華な景観は忘れられません。遭難防止の装具を付けた時は、胸がドキドキしました。でも、前日降った深雪はそんな私の技術の未熟さを思い知らせてくれました。全くごまかしが効かないのです。
 最後にスキーを担いで駅に上がる階段の長かったこと!手助けされてようやくたどり着き列車に乗ってシャモニーに到着したと思ったら、町を散策する時間もなく、クールマイヨールへ戻り一日が終わってしまいました。
 青氷が所々顔を覗かしているあの広い氷河の上をコンディションのいいときにもう一度滑りたい。そのためには鍛えなくては。」
(探索隊参加三回目、徳田圭子)


「私のスキー人生二十年間の最高峰でした。映像や写真では表すことのできない、全身で感じたヴァレー・ブランシュ。この素晴しさをたくさんのスキーヤーに、そしてもう一度自分自身感じてみたいと願っています。」
(探索隊参加六回目、堀口尚子)


「前回はフランス側から入ったヴァレーブランシュ。今回はイタリア側から滑るので、とても楽しみにしていましたが、降雪のすぐ後だったせいか、雪が深くガイドのすぐ後に付いて滑ったのに板がどんどん沈み込んで、大変な難行になりました。そんな中でも、クレバスがあるのも気付かずすっ飛ばした新雪大好き人間がいてヒヤヒヤものでした。この次はも一度いいコンディションのもとチャレンジしてみたい。」
(探索隊参加六回目、信平弥恵子)


「早いもので2003年も暮れいこうとしております。今年三月にクールマイユールで、憧れのヴァレー・ブランシュを滑走し、満足して帰国しました。あの時感じた大自然の偉大さ、美しさの中にひそむ恐ろしさが今でも忘れられません。同時にあの新雪との闘いには、自分自身体力のなさを容赦なく突きつけられました。 ヴァレー・ブランシュって、人生がなんであるかを体験できる修行道場のような場所だと思いました。貴重な体験だったと感謝しています。」
(探索隊参加六回目、関戸章仁)


「今回初めてクールマイユールに滞在し、ヴァレー・ブランシュを体験することができました。前日の雪でコースは新雪。白と青のコントラストが眩しい光景。普段コンクリートジャングルに身を置く私にとって、一体何が大切なのかを再確認させてくれる、そんな得難い体験でした。」
(探索隊参加十回目、原田 洋一)


Valee Branche ,Courmayeur Italia : March 2003

クールマイユール、ヴァレー・ブランシュ氷河をいく
Valee Branche ,Courmayeur Valle d'Aosta Italia

 今思えば、一人の脱落者もなくヴァレー・ブランシュ18kmを完走できたことが何よりであった。あの中で一人でも落伍すれば、スノーモービルが雪煙を上げて救出に来る。轟音と共にヘリコプターが飛んでくる。

 翌日の新聞には写真入りで記事が載る。紙面に「日本人スキーヤー未熟!ヴァレー・ブランシュで立ち往生」のタイトルが踊る。アオスタのテレビ局だって、取材に押し寄せたにちがいない。なにしろ平和でニュースが欲しい。

 「オレは知らないよ」と言ったって、仮にも隊長を名乗る以上逃げられっこない。シドロモドロになりながら、汗だくのイタリア語で、インタビューに答えることになっただろう。途中で、なに言ってるか分からなくなって、

「エー、あー、マコトに、未熟で迷惑をかけてしまったのは、実に申し訳ない。今後、日本に帰ったら日本人はヴァレー・ブランシュに足を踏み入れないよう法改正するけん、堪忍しとくんなはれ」などと口走ってしまったにちがいない。あー、そうならずによかった。

 クールマイユールからのヴァレーブランシュ氷河滑降は、かくしてわが脳裏と肉体にしっかりと刻み込まれた。帰国後、剥がれてしまった右足親指の爪も、今はもう完全に再生したが、あの日見たヴァレー・ブランシュは永遠の輝きを放ち、消えることがないだろう。



ヴァレー・ブランシュ氷河を行く探索隊一行


神々の宿る地、ヴァレー・ブランシュ


PAGE TOPに戻る

クールマイユール旅行はイタリア旅行社へ

バール掲示板
リンク
サイトマップ
プロフィール
トップページへ