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「新春のドロミテを滑る世紀末」の巻

  一月八日。第五次イタリアスキー探索隊は勇躍ドロミーティ、アラッバへ向け飛び発った。事前の情報では、暮れの21日に軽い降雪があったが全体的に雪不足が心配された。おまけに、セッラロンダはクローズしているのに、全国から20名の精鋭が参集した。

 雪が少ないと聞けば、普通は出発を取りやめたりする人が必ず出てくるものだが、探索隊ではそれはありえない。隊員にはイタリアに行ければ満足、キッパリとイタリアを愛する態度。行けば何とかなるだろうという楽天的で太っ腹な資質が備わっている。正月明け早々、隊長以下全員で休暇を取って、一年一番のハイライトをもってくる。その勢いで充実した一年を過ごしてしまえるのだから、やめたりするわけがない。

 ミラノ・マルペンサ空港には定刻に到着した。それはいいが、スキーが出てくるまで、いつもの倍ぐらい待たされた。マルペンサ空港は去年の10月末から空港敷地内に全く新しいターミナルをオープンさせたので、なかなか立派になったのだが、荷物の送配に時間がかかってしまうのは困りものだ。

 これにはちょっと訳がある。ミラノにはリナーテというもう一つの国際空港があって、こちらは街から二十分と近くて便利だが、敷地が狭いためこれ以上の拡張ができない。マルペンサは街から五十分かかるが敷地は充分ある。イタリアはそこへ、新ターミナルを建設して2000年に完全供用、全便をマルペンサに移してしまうプロジェクト「マルペンサ2000」を推し進めてきたのである。

 計画ではリナーテはローマミラノ間のシャトル便専用になるはずだった。ローマミラノ便はアリタリアのドル箱路線。他社の参入を阻んで独占的に運行できる点がうまみである。が、イタリアのやり方は当然EU諸国の猛反対にあって頓挫してしまう。結局、四分の三はマルペンサへ移したが、あとは暫定的とはいえリナーテに残さざるを得なかったのである。

 ということで、オペレーションに必要な人員を二つの空港に割くことになったので、マンパワー不足が生じてしまったのだ。アリタリアも急遽、全国から応援部隊をマルペンサへ送り込んだが、最初の内、迷子の鞄や荷物が5000個も溜まってしまい、冗談好きなイタリアの新聞はすかさず書いた。「マルペンサ2000じゃなくてマルペンサ5000」。

 さすがに立ち上がりの大混乱は解消したが、習熟したスタッフ不足は否めない。円滑に回転するにはしばらく時間がかかるだろう。というわけで全員の荷物を受け取って、走り出した時点で既に七時十分過ぎだった。この分では、アラッバに着くのは真夜中の十二時を回ってしまう。走り出したら消灯してともかく眠る。暇さえあれば眠ってしまう方が明日からの探索が楽になる。


 ミラノからA4でヴェローナへ向かい、イタリア三大湖のひとつガルダ湖の南岸をバイパスで抜け、そこからA22でトレントを過ぎボルツアーノ=Bolzanoの少し手前のオーラ=Oraでアウトストラーダを下りて、ドロミーティ街道へ入っていく。そのオーラを出るとき時計は10時30分を指していた。また暫く眠っていると、一定だったエンジン音の変化にイヤな予感がして薄目をあける。ややや、ドライバーが道の脇に車を止めているではないの。

 どうやら、エンジンがオーバーヒートしてしまったらしい。エンジンを冷やしたり、途中のバールまで走って行って水を分けて貰ったり。結構一時間半ぐらいはロスしただろう。それからCavalese,Predazzo,Moena,Vigo,Canazeiと夜更けのドロミテ街道走り抜け、これを越えたらようやくアラッバのポルドイ峠にさしかかる頃には、車のライトに照らされ雪がびょんびょん舞い始める。ミラネーゼの運転手の横顔には心なしか緊張が漂い、探索隊をのせた車はカタツムリのように、一歩また一歩とアラッバへと近づいて行くのであった。


 アラッバへ着いたのは結局、夜中の二時を過ぎていた。
「わーお。やっと着いたかぁ。オジさんは疲れたよ。杉作ぅ」
とつい口から出そうになるが、仮にも探索隊を率いる身。俵万智ちゃんではないが
「平ちゃんを隊長と呼ぶ子らがいてイタリアスキー探索隊」なのであるから、オジさんしてる場合じゃない。

 部屋の鍵を隊員に配って、「お疲れさまでした。明日は早いですから、夜食を用意してあるので食べる人は食べて、いらない人はお部屋でゆっくりお休み下さい。」
たまちゃんの作ったガイドブックには
「馬場平之助は添乗員ではありません」
と書かれているのだが、なんかこのへんは隊長というより完全に添乗員ふうだよなぁ。やっぱり。

 明朝は全員のスキーパスを買いに行ったり、レンタルスキー借りる隊員の面倒見るのも隊長の役目。早く寝て早く起きなきゃ。早く早くモードでいるのに、宿の二代目若旦那、ディエゴは「遠いところをよく来てくれました。お腹もすいてるでしょうから、パスタ食べてから寝た方がよく寝られる」とコック帽かぶってパスタを持って回るし、
「ヴィーノ飲まないと明日からいい滑りができないよ」
とワイン持って愛嬌たっぷりで皆についで回る。ミラノからごんごん眠って元気になってしまった隊員達に、早く寝ようの隊長の掛け声は完全に無視されてしまうのだった。

 ディエゴは厨房に行って、もうひと鍋パスタをゆでてくるし、ワインのデカンタもどんどんテーブルに並べるので、段々みんな調子が出てきて、楓山一登も能戸俊輔・洋子もソムリエハラダも楠田美重子、中村圭江、信平弥恵子、関戸章仁らもみんなニコニコ生ハムにチーズにワインで、着いた途端、朝の四時まで飲んだり食ったりできるって、やっぱり、来てよかったぁ。いいなぁ、イタリア。


 一夜明けて初日。アラッバからコルヴァーラへ向かうリフトから見える風景は衝撃的で、とてもスキーに来たという雰囲気じゃない。ヨーヨーマのSong Of the Liberty Bellが頭の中に鳴り響くような景色なのである。と言っても鳴り響かない人は、ザベストオブヨーヨーマのCDを買って五番をお聞き下さい。

 ああ、ドロミテを見渡せば一面の銀世界。どころか、まるで冬訪れた牧草地帯。
「ヤギさんのお世話しに来たのよねえ。あたしたち」
「スキーはいてリフトに乗ってるなんてヘンよ」
「下へ降りて、牛さんもお馬さんもいらっしゃーい。とでもやったほうがいいわねえ、これじゃ」
口々に言い出すんではないかとボーゼンとしてたら、隣に座った信平弥恵子の悠揚迫らない大阪弁で我に返る。
「雪がなくて草が見えてると、なんや、ぬくい気いするわぁ」
「そう言えば、ぬくいなあ。気いするんとちゃう、ほんまにぬくいんや」
こちらもインチキ大阪弁でボケるしかない。

 危うしドロミテ探索隊。このまま、雪なしドロミーティに跳ね返され、すごすごと日本へ引き返してしまうのだろうか。ああ、杉作の運命はいかに。探索隊の運命やいかに。





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