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「やっと、セッラロンダ探索に成功」の巻

 アラッバで不思議な人物に出会った。探索隊が泊まった宿に滞在している客の一人なのだが、レストランで探索隊の席の近くにいつも座る壮年の男性に気が付いたのは、アラッバへ来て三日程経ってからのことだ。名はジャンニといい、年の頃は六十代半ばだろうか。見た目はごく普通の標準的イタリア人である。

 イタリアに行くといつも感じるのだが、イタリア人の視線の強さには戸惑うものがある。
「あんまり、人のことを、じろじろ見るもんじゃない。行儀悪い」
とか言われて育ってきたジャッポネーゼからすると、ジーッとこちらを見つめる必殺凝視光線には
「ナヌ、なんだ、オレの顔になんか付いてんのか」
「なして、あたしのこと、あんなにジッと見つめるんだべ」
と一瞬たじろぐことになる。

 「なんでそんなに見つめるのか」
と改まって聞いてみたことはないが、
「見たいものを見る。いいでしょ、どーしていけない」
と答えるに決まっている。要するに、イタリアーノは自分に正直なだけなのだ。見たいものは好奇心に満ち溢れた眼差しで見つめてしまう。

 アラッバへジャッポネーゼが大挙してやって来たのは、なにしろ村始まって以来。探索隊が着いた翌朝から、ジャンニは、直ちに観察開始していたのだと思う。同時にジャンニの前を通りかかる隊員達に、イタリア式挨拶交信術で親愛の空気を伝えていたに違いない。人のことなんて気にしてる余裕がなくて、三日目まで気が付かなかっただけなのだ。

 そう言えば、アラッバ三人娘、渡辺智子、田中小百合、渡部恭子は三度もアラッバへ行ったのだが、行くと必ず会うイタリア人がいると言っていた。それもその筈、ジャンニはミラネーゼだが、スキーシーズンはミラノからアラッバへ移り住んでいるわけで、まだディエゴが子供だった20年も前からこの宿を定宿にしてきた。今はもう年金生活になったので、冬の間ずっとアラッバに滞在しているというのだから、ウラヤましい限りである。
「人のことはうらやむな」
言われて育ってはきたけれど、でもやっぱりウラヤましい。

 それにしてもなんという差。ドロミテとは言わない。日本のスキーリゾートのどこでもいい。東京に住む年金生活者が、シーズン中通しでスキー三昧の生活などできるだろうか。現実には殆ど不可能な夢のまた夢にちがいない。

 日本は豊かな国で、国民は誠実勤勉努力が第一。富国強兵産業立国われら生き延びるはこの道だけと、時代を超えて言い聞かされてきた。でもまあ、なんのこたない。日本列島は言わば地球の上の工場地帯。緑なす山河にコンクリート打ち込んで堰を作り、大量生産→大量消費→大量廃棄、排出されるゴミの山で海を埋め立てる。原発もゴミ処理場もダイオキシンも自分の庭先であれば誰も反対するが、青森福島新潟福井玄海、自分に見えないとこなら、なんでもOK、全く無関心いうのでは、思考力の欠如とも想像力の貧困とも言われたってしかたない。

 イタリアは反対に怠け者といい加減な人間ばっかりの貧しい国、と教えられてきたが、アラッバのジャンニを見ると、彼らの方がよっぽど豊かに見えるのはなぜだろう。奮起せよ、日本の年金生活者諸君!




 アラッバ最終日の五日目、一月十三日。昨日デイエゴと一緒に探索隊に付いてくれたジャンニが、今日はディエゴに代わって一人で先導を引き受けてくれた。
「ドロミテスーパースキーは自分の庭みたいなもん」
と口にはしないが、昨日一日一緒にいただけで、その練達振りは充分に伺える。

 アラッバからポルタヴェスコーヴォへ上り、心強い先導を得てジャンニを先頭に一隊は行く。出発したときは、雪がちらつき視界は良好とも言えなかった。パッソポルドイ峠へ向かう分かれ道の手前で、ジャンニが言う。
「この気候がこの先急変するとかなり危険だ。今日はセッラロンダは中止して、アラッバへ帰投した方がいい」
「しかし、われわれは今日が最終日で、今日だめなら今回の探索で一度もセッラロンダを成し遂げられなかったことになる」
「また今度来たときにやればいいではないか」
「あなたはいつもアラッバにいるから、いつでもできるだろうけど、うちらは、はるばる日本からやって来たんだから、ここはぜひ、なんとか先導を続けて探索成功に力を貸して欲しい」
「そこまで言うなら、しかたない。そのかわりどーなっても知らないかんね」
「お願いできますか、ヨカッタ」
ジャンニを長い時間かけて説得したおかげで、セッラロンダの時計回りを、この日なんとか成功裡に完遂できたのでありました。

 というのは実は全くの嘘で、本当はポルタヴェスコーヴォから下りる途中、頭から三回転する大転倒をやって、すっかりイヤ気さした馬場平之助は、
「あー、やってらんない。こんな天気でセッラロンダなんかやるのかよ。ジャンニ、行きたい奴だけ連れて行ってくれないかな。オレは帰ってビール飲むから」
という態度になってしまったのである。
「そりゃないよ。そんなこと言ったって、誰もイタリア語分かんないのに、どーやってオレひとりでみんなを連れて行けるんだよ」
「ダイジョブよ。行けばなんとかなる」
「オマエ、イタリア人よりいい加減だなあ。オレひとりでダイジョブなわけあるかよ」
「ダイジョブ。滑ればみんな付いて行く」
「ほら、みんなオマエを待ってるよ。昼前には天気も良くなるし、この先は雪の状態もいいし、さあ、一緒に行こう」

 ジャンニは長い時間かけて説得を続けてくれた。ありがとうジャンニ、あなたはいい人だ。途中で任務放棄しそうになったいい加減な隊長を励まして探索を成功に導いてくれた。ガイド料払ってるわけでも、親父でも、兄弟でもないのに、くじけそうなときに力づけてくれてホントにありがとう。あなたがいなかったら、きっともう、今回でドロミテ探索隊は解散していたにちがいない。



 アラッバのあとはヴェローナで二泊する。出発の朝、空を見上げれば、すっかり晴れ渡り雲ひとつない。
「なんだ、この天気は。今日から一週間くりゃよかったでないの」
思わず言うと、ヴェローナまでのドライバー、アゴスティーノが
「やー、そりゃ、そーじゃない。あなた達はこれから来る人に素晴らしい天候を残して行くんだ。その人たちから感謝されると思わないとね」
「はー、感謝ネ。まー、そういや、そうかもしんないけど、口惜しいじゃない。こんなに晴れ渡った朝、スキーしないで帰るつーのは」
「今度来たら、前の週にいた人があなた達に、きっと素晴らしい天気を与えてくれるから」

 そーか、そーか、そーであったのか。浅はかであった。人生万事塞翁が馬。苦あれば楽あり。艱難汝を玉にするのであった。今回もイタリアーノの相対性理論、寛容と慈愛に満ちた博愛の精神に学ぶことの多い旅であったとつくづく思うのである。





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