「反時計回りグランデ・グエッラとセッラ・ロンダ」の巻 |
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ドロミテの女王コルティナのトファーナと探索隊
Tofana, Cortina d'Ampezzo Dolomiti :Mar2000
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パッソガルデナからサッソルンゴを望む
Sasso Lungo vista dal Passo Pordoi : Mar2000
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チヴェッタ、トレ・ヴァッリ探索四日目の三月八日、探索隊はアラッバへ向かうことになった。昨日体調をくずして、グランデ・グエッラに参戦できなかった梶文江や、まだセッラ・ロンダに挑戦していない隊員に「ドロミテの観覧車」セッラ・ロンダを体験して貰うためだ。 ドロミテにグルッポ・ディ・セッラと呼ばれる山群があって、ドロマイトの峰々が連なるセッラのまわりの大小の渓谷には、宝石をばらまいたように村々が点在し、広大、機能的、且つダイナミックなスキー場群を形成していることは以前にも紹介した。

セッラロンダは、時計回りと反時計回りの両方向を滑ることができ、セッラの裾野のいずれの村からスタートしても、またその村へ帰ってこれるようになっている。コース順路を示す標識がオレンジとグリーンに色分けされていて、時計回りがオレンジコース、反時計回りはグリーンコースと呼ばれている。

ドロミテ探索隊もオレンジコースは何度も挑戦してきたが、反時計回りは数えるほどしか体験していない。というのも、反時計回りはリフトに乗る距離が長く滑る距離が短いと聞くと、時間に余裕のないジャッポネーゼは、悲しいかな、どうしてもオレンジコースを選んでしまうからである。

しかし、実際に滑走距離を比べてみると、オレンジコースが24.45km、グリーンコースは21.55kmとなっていて大差ない。問題となるリフトによる移動距離もグリーンコースが16.15km、オレンジコースの15.03kmと比べて、わずかに長いと言えば言える程度なのである。

確かに、コルヴァーラからパッソ・ガルデナへ向かうあたりのTバーがちょっと長いと感じるが、展開する光景はまた違った相貌で、「ドロミテの観覧車」の名に恥じない。瞬時にして変わってゆくドロミテの蒔絵には、誰もが心を奪われてしまう。それに、自分そのものが大自然に融けこんでしまうような快感は、他では決して味わえない。

反時計回りSella Rondaは、アラッバからスタートするとコルヴァーラ→パッソ・ガルデナ→セルヴァ・ディ・ガルデナ→パッソ・セッラ→パッソ・ポルドイ→アラッバのコースが最短距離である。余裕があれば最短コースを滑るだけでなく、途中でコルヴァーラ、サンカッシアーノ、ラヴィッラ、ガルデナ、カナツェイ、などのワールドカップクラスのスキー場を思うがままに滑ることも可能である。

連係しているスキー場を走破するとなれば、体験できるピステと様々なシチュエーションは爆発的に広がっていく。滑走距離は更に、各々のスキーヤーの能力に応じて飛躍的に伸ばすこともできるだろう。他が追随できないドロミテスーパースキーの利便性と規模を存分に活用したスキーツアーが実現できるわけである。 |
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途中で一杯グラッパやリキュール。
冷えた体が温まる |
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これが有名なドロミテのサッソルンゴ。
下に見える小さいのが人間 |
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ベルヴェデーレからの眺め。右にセッラ山群。左がサッソルンゴ
Gruppo del Sella (destra), Sasso Lungo (sinistra)
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海外スキーを成功させる条件は、いい天気、いい宿、いい先導の三つに尽きる。いい天気は人力も及ばないが、他の二点は努力と経験で改善できる余地がある。知らない土地で、満足いくスキーするのにも、結局は努力と経験の積み重ねが求められることになる。

感謝すべきことに、アラッバには渡辺智子、渡部恭子、田中小百合らアラッバ三人娘が通いつめた宿がある。彼女たちが初めて行った頃は未だ少年だったディエゴが、今では立派な若旦那になって、両親と宿の切り盛りをしている。 去年からは探索隊御宿ともなったので、行ってみたら、多くのイタリア家庭がそうであるように、この家でもディエゴのお母さん=マンマが全体を仕切っていて、ディエゴもマンマに頭が上がらない。

カプリーレから連絡を入れて、そのディエゴにセッラ・ロンダの先導をしてくれるように頼んである。朝9時にはスキー小屋で待っていてくれるはずだが、時間通りには現れてくれない。ちょっと遅れて登場したディエゴは、全員に挨拶を交わすと、ニコニコしながら早速
「チンクェ・ビッレ、チンクェ・ビッレ」
と連発するのだった。「チンクェ・ビッレ」というのはビールを5人分ということなのだが、ディエゴの「チンクェ・ビッレ」は合い言葉なのだ。

悪天に見舞われた昨年の最終日やっとセッラ・ロンダ探索に成功したので、ディエゴ、ジャンニ、能戸洋子、楠田美恵子と隊長の五人はビールで祝杯をあげた。「チンクェ・ビッレ」をお代わりして、すっかりいい気分になったディエゴがますます「チンクェ・ビッレ」を連発して、五人ともヘロヘロになってしまった。

マンマからケータイが鳴って、
「ディエゴ、どこで油売ってんの。早く帰ってらっしゃい」
ピシリ一発で、祝宴はお開きとなってしまったが、「チンクェ・ビッレ」は、以来ディエゴとの合い言葉になったわけである。

今回のセッラ・ロンダ反時計回りを成功裡に終えることができたのも、ディエゴの先導があってこそである。愛嬌良しで人がよくて憎めないディエゴみたいなイタリアーノがいるって、行けば行くほど、いいなあ、イタリア。好きだなあ、イタリア。
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昼に食べたタリアテッレ、おいしかった |
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ピッツアも、おいしかった |
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宿に帰ればスキールームの前でサービス。
疲れを癒すホットワインとケーキ |
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コルヴァーラ目指して滑る。サッソンガーが正面にみえる
Gruppo del Sella , Dolomiti :Mar2000
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セッラ山群の絶壁、岩登りではよく人が死ぬ
Gruppo del Sella , Dolomiti :Mar2000
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パッソガルデナへ登るJバー
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Gruppo del Sella , Dolomiti :Mar2000
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ディエゴの先導でセッラ・ロンダ完走。
Arabba Dolomiti Veneto : Mar2000
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