生まれて初めてスキーを履いたのはイタリアのフォルガリダというスキー場だった。ローマで暮らしていた頃で1980年のことである。アリタリア航空のスキークラブがドロミテのスキー場で一週間のセッティマーナ・ビアンカを募集しているというので、家族全員で参加することにしたのだった。

この年は極私的に記念すべき年になった。というのも居心地のいい六年間のローマ暮らしに見切りをつけて、なにがなんでも日本へ帰国すると心を決めたのだ。長男が7才、次男が5才、このままイタリアで暮らしていると子供達がすっかりイタリアーノになってしまう気配が感じられつつあった。

ローマに暮らし続けてそのままイタリアの土となってしまうのは、自分としてもなんだか不本意なような気がしていたが、子供達のイタリアでの将来がいったいどーなるのかはそれ以上に心配だった。つまり子供の教育問題に背中を押されて帰国を決意したわけだった。

一旦そう決めると気が楽になって、今までイタリアでやり残したことをやってみたり、行ってないところへ車を走らせたりするのが楽しみとなった。そんな冬のある日、スキークラブのツアーを知ることになる。

このシリーズの冒頭、ローマ空港で岡戸正人=現志賀一ノ瀬ビアンカSS校長に出会ったのはその前年の79年のことである。
「イタリアはいいですわぁ。スキー場は最高だし、飯はウマいし、人間は親切だし、スキーはやっぱりイタリアですワ」

トナーレ氷河でのレーシングキャンプを終えた岡戸正人は飄々として爽やかで、
「イタリアに住んでるなんて、ホント、うらやましいですワ。こんなええとこに暮らしとって、スキーしないなんてモッタイナイ。早いとこスキー始められたほーがええですヨ」

そういい残して、東京行きの機中へ乗り込んで行った。夏の暑い盛りだったのですぐにスキーを始めようとは思わなかったが、次の冬が来るや子供と一緒にスキーを始めることになったのであった。

ローマの終着駅テルミニから夜行列車で北上して翌朝トレントに着くと、そこからドロミテブレンタの山中フォルガリダまではバスが仕立てられていた。一週間お世話になったHotel Derbyは小さな宿だったが、家族ぐるみの暖かいもてなしと、心のこもった食事は20年経った今でも忘れることがない。

フォルガリダでは子供と一緒に一週間、クラスはそれぞれ別々だがスキースクールに入校した。毎日午前2時間、午後2時間のレッスンで全くの初歩から教えてもらい、一週間後にはひと通り滑ったり止まったり、インストラクターについて迂回コースを滑りながら、ドロミテのパノラマを楽しんだりできるようになってしまうって、さすがスキー教師はプロである。

最終日にはポールを立ててクラスごとのタイムレースもあって、親子共々夢中でゴールを目指すようになってしまった。スキーの楽しみを教えてくれ、その後のライフワークの原点ともなったフォルガリダは、今でもおいそれと足を向けては寝られないわけである。
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