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「マドンナディカンピリオの夜は更けて」の巻

 知る人ぞ知るドロミテ・ブレンタの奥座敷、マドンナディカンピリオ。ホテルスピナーレのレストランで朝な夕なに乾杯のスプマンテ。スキーするハレの時間を堪能し、普段の生活からすれば豪勢な食事を楽しんできたが、それも今日が最後となってしまった。明日はミラノへ発つという最後の晩餐が始まっている。

 照度を落とした明かりの中に前菜が出てくる。Insalatina di bressaola della Valtellinaalla mozzarella e rucola という、えらく長い名前はダテじゃない。その分、やたらとうまい、ロムバルディア州の生ハムの一種ブレザオラにモッザレッラチーズ。

 今や日本でもイタリア青菜としてポピュラーになったルッコラをそえた前菜とサラダをパクつきながら、最初に頼んだ白ワインの PinotGrigioはとっくに空いてしまった。

 二本目の、Fojaneghe Conti B,F.も半分は残っていないようだが、目の前のプリモLasagne gratinate ai gamberi e punte d'asparagi=海老とアスパラの穂のグラタンをベースにしたラザーニャに、おいしい美味しいと、とりかかるのだった。

 さっきソムリエが隠し戸棚から、ちらっと出して見せたワインも気になっていた。あとで分かったのだが、戸棚に隠してあったのはなんと、あのValpolicella Amaroneだったのである。

 ソムリエの様子は、いかにも「これから自慢のワインをふるまうからね、滅多に出さないんだけどね、今日がマドンナ最後の夜だから、特別じゃけんね」というふうであった。

 セコンド=メインの料理、Orata al forno con salsa venezianaとFagottino di vitello al taleggio e porni、に全員が舌鼓みを打ち赤ワインに陶然としていると、ヴェネトのワインにすっかり上機嫌となったプロフェッソーレノート十八番、先祖伝来の津軽弁が出てきた。
「へればへったでへらいるし、へねばへねで、へらいるし、どうせへらいんだばへってへらいだほが、
いがんべなっ」
これを関東弁に直すと、
「言えば言ったでなんだかんだと言われるし、言わなきゃ言わないで言われるし、人の口に戸は立てられない。どーせ言われるなら、言いたいことは言って言われた方が、いいんじゃない」
というような前向き人生態度であるらしい。

 夜の闇が深まるとともに、ワインの酔いが加速して、目を閉じるとマドンナのスキーシーンがひとつひとつ浮かんで来る。脳の片隅がどこかで能戸俊輔の言葉に反応して歌い出す。
「そうだ、そうだ〜。まったくだ〜。な。飲めば飲んだで言われるし、飲まなきゃ飲まないで言われるし、な。どーせ言われんなら、オレなんか飲まないで言われるより、飲んで飲んで沢山飲んで、言われたほーがいがんべなっ」

 ちょっと違うみたいだけど、グーングンと酩酊しつつ、マドンナディカンピリオの夜は急速に更けていくのであった。


 マドンナは荒らされることもなく、われわれを待っていてくれる豊饒の地のひとつにちがいない。ドロミテやイタリアアルプスの山岳地帯はどこもそうだが、都市の殺伐とは無縁と思える人々が、頑固なまでに変わらぬペースを守って静かに生活している。

 こちらが出向かなければ、無論これらの人々とは交わることもなく、われわれの人生には無縁のままであったはずなのだが、一度でも袖触れ合えば、誰でもまた訪れてみたいと思うようになってしまうところが不思議である。

 イタリアの自然の造形は世にも稀で比類がない。食い物が旨いし酒も美味い。その上、イタリアーノは人をおろそかにしない。愛嬌が良くて人をそらさないから、行けば行くほど居心地がよくなってしまう。人を惹きつけて離さない秘密とは、言葉にするとこうしたありふれたことに過ぎないのだが、かって日本にもあったものでありながら、今は少しづつ失われていくものが含まれているとも思える。

 イタリアへ出かけるのは失われたものへの郷愁からなのだろうか。それとも、そんなことを感じているのは自分だけで、失われたものを求めてイタリアスキーへ行ったりする者など少ないのだろうか。

 考えてみると、毎年イタリアアルプスのアオスタピエモンテやドロミテへ出かけているが、行く先々で、出会う日本人があまりにも少ない。確かに、探索隊が行くところは日本であまり知られていない場所ではあるが、それにしてもちょっと少なすぎるような気もする。

 マドンナディカンピリオに滞在中、日本人は一人も見かけなかった。われわれ以外の日本人は全くいないようなのであった。ドロミテに範囲を広げてみても、セッラ・ロンダの途中で何人かのジャポネーゼに出会ったくらいで、あまり日本人を見かけた記憶がない。

 コルティナへは今までに三度行ったが、やはり日本人には会わなかった。もっとも、最後に行ったのは96年のことで、最近は団体旅行の日本人も来るようになったとコルティナのアンドレアが言う。

 セストリエーレでもサンシカーリオでも、わが同胞に出会うことはなかった。ミラノのモンテナポレオーネあたりでは、サルディの時期になると買い物客の中の二人に一人、日本人含有率は50%以上だというのに、人影も見ないのは残念と言えば残念ではありませんか。

 冬のイタリアはもちろん観光シーズンではない。ドイツ人もイギリス人もアメリカ人もあまり見かけない。ところが、厳冬の一月に、フィレンツェの日本人人口が一万人を越えたこともあったらしい。更に、プラダ求めて三千里、モンテヴァルキにだって進撃する日本女性もいるというのに。あーそれなのに、それなのに。冬のイタリアアルプスに日本人がいないというのは惜しいと言えば惜しいことかもしれません。


 日本人が来ないからといってもヨーロッパは地続き。冬のイタリア山岳リゾート目指して、いくらでも人々はやって来るのだし、誰も困ることはない。世界中のリゾートが日本円目当てに熱心に観光誘致する中で、ひとり泰然としていられるんだから、それはそれでいいのかもしれない。うらやましいよなあ、イタリア。

 ミラノやヴェネツィアからの交通の便だって全く不便極まりない。並の日本人では実際のところ、空港から公共交通機関を使って、自力でドロミテやアオスタへたどり着くのはかなり難しい。この辺もなんとかすれば、日本からだってもっと来るようになるのだろうが、だからといってインフラを整え便利にする気は更々ないようだ。

 ホテルも、シーズン中はヨーロッパ中の客で常時満室状態。三泊や四泊では相手にしてくれず、一週間単位でないと宿泊させてくれない。今の世の中でこういう姿勢を頑固に貫いていけるイタリア。変わることないイタリア。そんなところも、好きだなあ、イタリア。



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