ヴェネツィアへ着いた夕方は、重く雲の立ちこめる空模様。翌朝には、雨に変わるあいにくの天気であった。こんな天気では予定していたブラーノ島やムラーノの島へ出かける気分にはならなかったので、ひとまず宿を出てサンマルコ広場への道を歩いてみる。
 道すがら多くの店の軒先に長靴が売られているのが目立ったが、その理由は直ちに分かる。サンマルコ広場へ近づくにつれ、商店を覗くとゴムモップで床の水を外へ押し出しているし、舗道が冠水してさざ波立つようになってきた。

「こりゃ、長靴買わんとアカンかな」と思ったら前方に渡り廊下みたいなものが見えてくる。 鉄のパイプで組んだ高さ70cmくらいの足場の上に、人が歩けるように板を渡して乗せてあるのだ。ヴェネツィアの街の要所要所はこの渡り廊下が張り巡らされていて、どこへ行くにもその足場に組まれた板の上を歩き回って、買い物したり散歩したりするわけだ。

サンマルコ広場へ着いて眺めていると、潮位が上がり始めたのか、広場にあるいくつものマンホールからあっという間に水があふれ出してくる。その勢いは相当なもので、あの広いサンマルコがものの10分もしないうちに水浸し状態となってしまうのであった。

水が吹き出して広場中に満ちてくるあまりの早さに、呆然としながら眺めていると、ヴェネツィアっ子は何食わぬ顔で長靴履いて広場を横切っていく。子供を乳母車に乗せた母親なんかは広場をジャブジャブと漕ぎ渡っている。水が溢れて運河沿いの歩道が冠水しようと、てんでに傘さし長靴で歩き回っているのだった。まあ、毎日生活している彼らにしたら、「いちいち驚いてなんかいられますかい」というのも尤もなんではありますけどね。

よそ者は例外なく驚嘆の眼で、この街を覆い尽くす海水の怒濤の進撃にひたすら感動したりはしゃいだりしているようだ。こちらもすっかり興奮してサンマルコ広場で写真を撮りまくっていたら、イタリア人だけど、よその街から来た若い娘二人組が、
「写真撮って〜」
という。 別に撮って貰っても後で本人たちがその写真を手にすることはないのだが、イタリアーノはそう言う場合がある。
「いいよ。何枚でも撮ってあげるかんね」
と記念写真を撮ってあげたら、
「この長靴を特によ〜く写してね」
と水の中で、また二人して笑い転げるのであった。

街ですれ違ったパトロール中の男女二人組のカラビニエーリ(憲兵)も膝が隠れんばかりの長靴を着用している。カッコイイので写真撮らせてくれと言ってみたのだが、笑いながらダメだと手を横に振るので、少し離れてから望遠で隠し撮りしたが、残念ながら露出不足であった。

ヴェネツィア出発の朝も、荷物を出そうと準備し始めたらいきなり電話が鳴る。予定の時間より一時間も前なのに、もう荷物を出してくれというから理由を聞くと、
「運河の水位が上がって来て、橋の下をくぐれなくなる。今のうちにボートに積んで運ばないと、リアルト橋まで人の手で運ばなきゃ」
というではないか。実に全く、今回のヴェネツィア滞在は、沈みゆく都・ヴェネツィアを体感堪能する旅となった。
「新世紀 打ちいでてみれば ヴェネツィアは サンマルコ広場に 波せまりくる」
|
 |
店内の水はモップで外へ。 |
 |
サンマルコ広場もご覧の通り |
 |
おかあさんはジャブジャブとバギーで |
 |
「長靴をよ〜く写してね」と言って二人は笑った |
|