カプリーレはドロミテの街道沿いにある、走り抜けるに三分もかからない小さな村だ。プラ一家は1866年に曾祖父が創業して以来、四代に渡り行き来する人に宿を提供してきた。四代目の若主人セルジオ・プラは、去年に続いてやって来た探索隊一行を静かに歓迎してくれた。

ドロミテ一帯、特に南チロルはオーストリアと国境を接し、グランデ・グエッラ=第一次大戦以前はオーストリア領だったこともあり、イタリアとはいえ、日常生活でドイツ語も使われるバイリンガル圏である。感情表現も全体に物静かで、陽気にハシャギ回るイタリア人という誇張して流布されるイメージとはかなり違う。

統一される以前、イタリアには公国が林立していたので、街道の至る所に税関や関所があって人の出入りを管理し、関税を徴収していたわけである。カプリーレもそうしたドロミテ街道の中継点のひとつであったのだ。

イタリア北部には今でもイタリアから独立するという運動があるくらいで、この勢力がそれなりの力を持っている。ベルルスコーニを党首とするフォルツァ・イタリア、北部イタリア独立同盟がそれである。セルジオの親父さんもその党の現役上院議員で、かつヴェネト州政府観光大臣の要職にあるという。

セルジオも宿を仕切りながら、つまり、客をさばいてフロントにいたり、マイクロが一台で足りないときは、自ら運転してアッレゲまで送迎したりしながら、実はドロミテスーパースキー、チヴェッタ・12番エリアのPresidente=会長も務めている。だから顔が広いし、どこへ行くにも先方の責任者を紹介してくれ気配りを忘れない。

探索隊の日程を相談しながらセルジオが言う。
「今年からマルモラーダが、ドロミテスーパースキーに参加することになったんだ」
「へーえ。どうしてまた」
「いや、やっぱり、マルモラーダもドロミテスーパースキーから独立しているよりスケールも広がるし、私たちが働きかけたのさ」
「ドロミテスーパースキーにとってもアドヴァンテージになるし」
「そう。マルモラーダも、来場者が増える。セッラ・ロンダの途中で寄ることができるから」
「アラッバからも簡単に来れる」
「チヴェッタ〜マルモラーダ間はバスが運行されてるから、30分もかからない」
「ということは、トップからマルガチャペラまでのノンストップ15kmがタダで」
「できます。今年からそうなったのです」
ドロミテスーパースキーパスさえ持っていればバスも無料だしリフトもタダである。そう聞いたら行かないわけにはいかないだろう。 |
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カプリーレ ホテルの窓から
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マルモラーダゴンドラ乗り場。
photo by Nishino Takayuki
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