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「ドロミテスキー、ブレッサノーネとヴァッレ・イザルコ」の巻
青空にドロミテの象徴、セッラ山群。

ブレッサノーネはイタリアのトレンティーノ・アルトアディジェ州、ボルツァーノ県の小さな町だ。県都ボルツァーノから40km、ミラノから336km。インスブルックから60kmと、もはやオーストリアに近い。

 ミラノからブレッサノーネまでは、アウトストラーダA4でベルガモ→ブレーシャ→ヴェローナ→トレント→ボルツァーノと走り抜け、ひたすら北上すると、この町に到着する。ブレンネロ峠を越えてしまえば、オーストリアとなる。

 探索隊がブレッサノーネを訪れたのは、3月の初旬であった。暗い道を走り、緊張と高揚する気分を胸に秘め、一行を乗せたクルマはずんずんと、新天地へと突入していくのだった。ここがドロミテスーパースキー10番=ヴァッレ・イザルコのスキー場のベースとなるわけだ。

 一行が到着して駐車するや、背の高い男が出迎えてくれる。クルマから降りると、握手しながら男はストレミツッアーと名乗るのだった。
「ようこそ。ブレッサノーネへ」
「どーも。やっぱ、遠いわあ。ブレッサノーネ」
「シニョール、バーバ。イタリア語が話せるんですね」
「ふにゃ、ほんの、少しだけ」
「イタリア人の名前。イタリア語をしゃべる(へんな)ジャポネーゼ」
「えっ、イタリアーノの名前?」
 南イタリアのナポリに、Baba=バーバというお菓子があるのを知っているだろうか。ローマで暮らしたころ、同僚たちにドルチェ・バーバと、よくからかわれたものだった。

「あ、バーバ、ナポリのドルチェね。久しぶりに聞いたな。よろしく、ストレミツッアーさん」
 バーバはナポリのお菓子かもしれないけど、自分だって、ストレミツッアーって、ドイツ人みたいな名前なんだよね。でも、イタリアだよな?ここは。
どこか北方の雰囲気

ブレッサノーネの城、なんとなくドイツ風


ドロミテの岩峰めがけて滑る。マルモラーダ氷河北面の大斜面。2011年3月。


ドロミテの岩峰めがけて滑る。セッラ・ロンダ、サッソルンゴとセッラ山群。2011年3月。


 遙か離れた日本から丸一日、長い旅路の果てのブレッサノーネ。ストレミツッアーと挨拶を交わして、ここが第一次大戦以前、オーストリア皇帝の領土だったことを改めて実感した。

 ドロミテの北部一帯は南ティロルと呼ばれ、人々はイタリア語とドイツ語の両方を話す。容貌は色白で背が高く、見慣れたイタリア人とはちと違う。道路標識だって二ヶ国語が併記され、町にも名前が二つある。県都Bolzano=ボルツァーノにしてからが、ドイツ語ではBozen=ボーゼンとなってしまうのだ。

 町の中心に聳えるゴシック様式の鋭い尖塔を備えたドゥオーモも、パステルカラーに塗り分けられた町並みも、どことなくドイツ風。日常会話でドイツ語が飛び交うブレッサノーネが、Brixen=ブリクセンと呼ばれていたことを、いや応もなく思い知らされてしまう。

 どのくらいの人間が暮らしているのか聞いてみると、人口はわずか18,000しかないと言う。18万人の聞き違いかと、再度問い直したが、やはり1万8千だそうだ。アルプスの山並みに囲まれた森林と草原、ゆったりした町の造り、人口密度の低さはうらやましいと言う他ない。


アルタバディーアのテレキャビン

アルタバディーアのテレキャビン

 ヴァッレ・イザルコ(イザルコ渓谷)はドロミテスーパースキーに加入した10番目のスキー場だ。ブレッサノーネを基点とするPlose=プローゼとMaranza=マランツァの二つのスキー場を、ヴァッレ・イザルコと総称している。総滑走可能距離は75km、その内の45kmのピステには、人工降雪機が敷設されている。

 ヴァッレ・イザルコは、ドロミテの北西部に位置している。今まで紹介してきたアラッバ、チヴェッタ、マルモラーダはプローゼの東南の方角に、ヴァルガルデナは南側になる。

 プローゼからのドロミテの名峰の連なりは、寄せては返す白波のようにみえる。また、北にはオーストリアとの国境を隔てるアルプスが間近に迫ってくる。だが、ドロミテの赤みがかった岩峰、空に向かって屹立する尖峰はここでは、あまり見かけることがない。

 初日の三月四日、先ずは足慣らしにプローゼスキー場を滑った。ガイドのクラウディオは元スキースクール校長で、今はプローゼのマーケティングマネージャーなのだ。

 プローゼの基点となるサンタ・アンドレア(標高1067?)からテレキャビンでヴァルクローチェ(2020?)へ上ると、右手にレストランがあって、その先にリフト乗り場がある。そこから更に上がっていくとプローゼ(2465?)のスキー場が広がっている。

 あいにくこの日天候は快晴というわけにはいかず、頂上部はガスの合間から見え隠れするようだった。それでも探索隊はクラウディオ先頭に、ワイドでオープンなプローゼのピステを飽きず終日滑った。スキー場としての規模はさ程大きい方ではないが、シーズン中は雪質のいいピステで十分なロングランが楽しめる。


ドロミテの名峰。サッソルンゴ(3,181m)主峰。2011年3月、ヴァッレ・イザルコから遠征。



 プローゼを滑る内に、クラウディオが頂上のヒュッテを指さし言った。
「あそこの、山小屋がぼくの家だった」
「え、あれがクラウディオの家なの?」
「いや、今は違う。ぼくが生まれた家なのさ」
「あ、生まれた家なのね」

 クラウディオはちょっと遠くを見るような目付きになって、生い立ちを語り始めるのだった。

「ぼくの父はグイダ・アルピニスティ=山岳ガイドの仕事をしてたんだ」
「この山で?」
「いや、ドロミテ一帯で。母はこの山小屋を切り盛りしていたわけさ」
「よ、アルプスの少年、クラウディオ!」
 プローゼの山頂にある山小屋で生まれたクラウディオ。小学校へ入学してブレッサノーネの祖母の家に住むようになるまで、彼はアルプスやドロミテの山並み囲まれた、この山で育ったのだという。

 アルトアディジェ州では、イタリア領となった今でも、義務教育の小学校からイタリア語とドイツ語の読み書き教えている。中学になると英語も習うから、自然と三カ国語に親しむ仕組みになっている。

 ローマ人はアルプスを越えて北進した。反対にゲルマンやらランゴバルドやらが、南下して来たこともあった。13世紀以降、長きに亘ってドイツやオーストリア皇帝領だったこともある。暖かい太陽と豊かな大地を求めて、いつの時代も人はこの地を目指したのである。

 どこかの首相や都知事のように偏狭なナショナリズムを煽るのではなく、日本でも、国語と一緒に韓国語や中国語を教えたらどうだろうか。国としてはイタリアとなっても、なお近隣諸国の言葉を教えるって、深慮遠謀だよなあ、イタリア。やるよなあ、イタリア。





セッラ・ロンダの途中で一休み。


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