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コルティナのワールドカップコース、ドゥカ・ダオスタ
Duca d'Aosta, Cortina Jan 2002 |
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ファローリアから見たトファーナとコルティナの全景
Tofana e Cortina, Vista da Faloria |
コルティナダムペッゾはヴェネツィアの北163kmの所に位置している。アウトストラーダA27でヴェネツィア→ヴィットリオ・ヴェネト→ベッルーノと行き、SS51でさらに71km北上すると、3時間足らずでコルティナへ到着する。ミラノからだと411kmあるから、ゲートウェイとしてはヴェネツィアの方がお勧めだろう。

コルティナはドロミテの真珠とも女王とも称され、夏は避暑客、冬はスキー客で賑わうヨーロッパ屈指の高級リゾート。ドロミテスーパースキーを構成する12のスキーエリアの中で栄光の1番を冠に戴いている。

スキーエリアは大きく三つに分けることができる。コルティナの象徴とも言えるトファーナ(3244m)は街のどこからでも見えるが、Gruppo di Tofana(トファーナのグループの意)と呼ばれるように、連峰であり山群なのである。そのトファーナ山群の南西斜面にトファーナのスキー場が展開している。ワールドカップ女子滑降や回転が開催されるポメーデス〜ドゥカ・ダオスタのバーンもここにある。

北東斜面にはソラピス(3205m)、クリスタッロ(3216m)の山々に囲まれてファローリアとクリスタッロのスキーエリアが広がっている。今回もこちらにはしっかり雪が残っている斜面が多かった。

コルティナの街から少し離れてパッソ・ファルツァーレゴを登って行くとチンクェ・トッリ及びラガッツオーイのエリアも堪能できるようになっている。グランデ・グエッラのコースにもここから入っていける。これらの全てを合わせると、総滑走距離は160kmの規模となる。

コルティナの歴史をひも解けば、1956年に冬季オリンピックが開催され、猪谷千春が回転種目で日本人初の銀メダルを獲得したと記録されている。ちなみに金メダルは、トニーザイラーが取った。当時黒い稲妻といわれたザイラーは史上初のアルペン三種目を制したとある。 |
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岩峰にリフトが |
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春のような日差しが
Cristallo, Ristorante Rio Gere |
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ピステにはしっかりと雪が |
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ドロミテ、コルティナ、ドゥーカ・ダオスタのピステでインストラクターのあとについて子供が
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ドロミテ、コルティナ、ドゥーカ・ダオスタのピステでインストラクターのあとについて子供が
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ドロミテ、コルティナ、ドゥーカ・ダオスタ、こんな斜面で練習すればうまくなるはず
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ドロミテ、コルティナ、ドゥーカ・ダオスタ、こんな斜面で練習すればうまくなるはず |
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探索隊はマルペンサ空港から目的のスキー場へ直行して、できるだけ早く長く滑りたいという隊員たちの気持ちに応えてきた。今回も最初の案では先ずコルティナに6泊してスキーしたあと、ヴェローナ2泊の予定だったが、「これだけイタリアに来ているのに、ヴェネツィアをまだ見たことがな〜い」と信平弥恵子たちが言うので、最初にヴェネツィアへ一泊したのであった。

翌日ヴェネツィアを見て回り、夕飯の時間までにコルティナへ向かったのだが、着いた翌朝から滑るより、断然楽だということが分かった。海外スキーの初日に怪我が発生する確率が高いことを考えると、日中歩き回って時差を調整し体調が整えられる、こちらの方が安全なのかもしれない。

コルティナを一番最初に訪れたのは89年のことである。以来、92年、96年と3回来て、今回で4回目、6年振りのコルティナになるわけだ。あー、それなのに、コルティナは1923年以来の記録的な大雪。ではなくて小雪ちゃん。こんなコルティナ見たことない、というくらいの春景色であった。針葉樹帯林には雪がなく、ピステだけに真っ白な雪がのっている。

トファーナのラヴァレス(2470m)より上はさすがに閉鎖されていたが、メインのバーンは全山きっちりとコースを設えてあった。各所に設置されたスノウガンが稼働し、完璧なピステが用意されていたのである。

おかげで滞在中は毎日快晴に恵まれ、街の温度計はマイナス0度から8度、ゲレンデではマイナス7〜13度と寒かったが、風もなくスキーには絶好のコンディションであった。雪が降らないという最大の困難に立ち向かい完璧なまでに克服する。ここ一番というときのイタリアーノの気骨を見せて貰ったのでありました。 |
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はたらく降雪機 |
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クリスタッロへ向かうリフトで隣に座った大阪の中村圭江が、前方を指さす。目をやれば岩がゴロゴロしたガレ場に鉄の階段が見えている。ハイカーやトレッカーのためのものだろう。普段なら雪に覆われ何も見えない筈なのに、ドロマイトむき出しの岩肌にかけられた鉄の階段は、春とも夏とも思えるような景観なのであった。

「あれを写真に撮ってえ」
「そういうてもな、カメラはザックの中やで」
「いやあ、ほなもう一度、戻ってぇ」
「はい、はい、戻ってお撮りいたしまっしょい」

圭江はんはマドンナディカムピリオ以来探索隊に加わった。アオスタ、リヴィーニョ、チヴェッタ、ヴァッレ・イザルコと来て、今年は一月コルティナと三月アルタ・プステリーアの両方に参加する。茅野市の楓山一登と同じように、探索隊の行くところ必ず中村圭江の姿が見られるようになったのである。

「行けるところへ、今のうちに行っておきたい」
「それで、続けて毎年。ある年は2回も」
「そ、来れないようなったら、馬場平之助が行く読んで、思い出にするの」

圭江はんは微笑みながら、静かにそう仰有るのであった。
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前方のガレ場に鉄の階段が |
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小雪のため鉄の階段がむき出しに見える
Cristallo、Cortina d'Ampezzo |
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トファーナをバックに
Tofana, Cortina d'Ampezzo |
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ヴェネツィア、サンマルコ広場
Piazza San Marco,Venezia 06Jan2002 |
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朝靄のサンマルコ広場とサンジョルジョ島
San Mraco e Sangiorgio Maggiore 06Jan2002
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