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「コルティナは80年ぶりの小雪ちゃん」の巻
コルティナのワールドカップコース、ドゥカ・ダオスタ
Duca d'Aosta, Cortina Jan 2002

 今年の冬ヨーロッパは異常な寒波に見舞われた。イタリアも例外ではなく、南イタリアのレッジオ・カラーブリアにも雪が降ったという。日本で言えば沖縄に雪が降るような異常なことである。今シーズン、日本でも早くから各地の積雪情報が届いていた。ヨーロッパには寒波到来。久しぶりに今年は絶好のスキーシーズンとなる筈であった。

 ドロミテ探索隊の出発の日が近づいた年の暮れ、積雪情報を見てみたら、なにかがおかしい。到来した寒波の影響で荒れ模様の天候とは反対にドロミテはなんだか雪が少ないようなのだ。最後の降雪は11月27日となっている。先月末から降ってない?!

 気温を見るとマイナス13度とあるから相当寒い。寒波に襲われて、ミラノ・マルペンサ空港にも何度も降雪し、シチリアのエトナ山のスキー場には雪がたっぷりあるというのに、ドロミテ地方には気温が低すぎて雪が降らないという不思議な気象となっているようであった。

 ピステの情報を見ると、総滑走距離120kmのうち72kmは滑れるとあるので、降雪機がしっかりと雪つけ作業に稼働しているようだった。年明けの1月5日には、探索隊が行くんだからそれまでに一度降って、パウダーのピステで待っていてくれー。

 そう祈りながらチェックし続けていると、年の瀬も迫る12月26日、コルティナに降雪ありの情報。総滑走距離120km中78kmが滑れるようになった。探索日程に入れてあるプラン・デ・コロネス=クロンプラッツにも12月30日に雪が降って、こちらは90km中80kmが滑走可能となった。ひと先ずは安心である。よかったぁ。
あ、財布がおちた



ファローリアから見たトファーナとコルティナの全景
Tofana e Cortina, Vista da Faloria

 コルティナダムペッゾはヴェネツィアの北163kmの所に位置している。アウトストラーダA27でヴェネツィア→ヴィットリオ・ヴェネト→ベッルーノと行き、SS51でさらに71km北上すると、3時間足らずでコルティナへ到着する。ミラノからだと411kmあるから、ゲートウェイとしてはヴェネツィアの方がお勧めだろう。

 コルティナはドロミテの真珠とも女王とも称され、夏は避暑客、冬はスキー客で賑わうヨーロッパ屈指の高級リゾート。ドロミテスーパースキーを構成する12のスキーエリアの中で栄光の1番を冠に戴いている。

 スキーエリアは大きく三つに分けることができる。コルティナの象徴とも言えるトファーナ(3244m)は街のどこからでも見えるが、Gruppo di Tofana(トファーナのグループの意)と呼ばれるように、連峰であり山群なのである。そのトファーナ山群の南西斜面にトファーナのスキー場が展開している。ワールドカップ女子滑降や回転が開催されるポメーデス〜ドゥカ・ダオスタのバーンもここにある。

 北東斜面にはソラピス(3205m)、クリスタッロ(3216m)の山々に囲まれてファローリアとクリスタッロのスキーエリアが広がっている。今回もこちらにはしっかり雪が残っている斜面が多かった。

 コルティナの街から少し離れてパッソ・ファルツァーレゴを登って行くとチンクェ・トッリ及びラガッツオーイのエリアも堪能できるようになっている。グランデ・グエッラのコースにもここから入っていける。これらの全てを合わせると、総滑走距離は160kmの規模となる。

 コルティナの歴史をひも解けば、1956年に冬季オリンピックが開催され、猪谷千春が回転種目で日本人初の銀メダルを獲得したと記録されている。ちなみに金メダルは、トニーザイラーが取った。当時黒い稲妻といわれたザイラーは史上初のアルペン三種目を制したとある。
岩峰にリフトが

春のような日差しが
Cristallo, Ristorante Rio Gere







ピステにはしっかりと雪が
ドロミテ、コルティナ、ドゥーカ・ダオスタのピステでインストラクターのあとについて子供が
ドロミテ、コルティナ、ドゥーカ・ダオスタのピステでインストラクターのあとについて子供が
ドロミテ、コルティナ、ドゥーカ・ダオスタ、こんな斜面で練習すればうまくなるはず
ドロミテ、コルティナ、ドゥーカ・ダオスタ、こんな斜面で練習すればうまくなるはず

 探索隊はマルペンサ空港から目的のスキー場へ直行して、できるだけ早く長く滑りたいという隊員たちの気持ちに応えてきた。今回も最初の案では先ずコルティナに6泊してスキーしたあと、ヴェローナ2泊の予定だったが、「これだけイタリアに来ているのに、ヴェネツィアをまだ見たことがな〜い」と信平弥恵子たちが言うので、最初にヴェネツィアへ一泊したのであった。

 翌日ヴェネツィアを見て回り、夕飯の時間までにコルティナへ向かったのだが、着いた翌朝から滑るより、断然楽だということが分かった。海外スキーの初日に怪我が発生する確率が高いことを考えると、日中歩き回って時差を調整し体調が整えられる、こちらの方が安全なのかもしれない。

 コルティナを一番最初に訪れたのは89年のことである。以来、92年、96年と3回来て、今回で4回目、6年振りのコルティナになるわけだ。あー、それなのに、コルティナは1923年以来の記録的な大雪。ではなくて小雪ちゃん。こんなコルティナ見たことない、というくらいの春景色であった。針葉樹帯林には雪がなく、ピステだけに真っ白な雪がのっている。

 トファーナのラヴァレス(2470m)より上はさすがに閉鎖されていたが、メインのバーンは全山きっちりとコースを設えてあった。各所に設置されたスノウガンが稼働し、完璧なピステが用意されていたのである。

 おかげで滞在中は毎日快晴に恵まれ、街の温度計はマイナス0度から8度、ゲレンデではマイナス7〜13度と寒かったが、風もなくスキーには絶好のコンディションであった。雪が降らないという最大の困難に立ち向かい完璧なまでに克服する。ここ一番というときのイタリアーノの気骨を見せて貰ったのでありました。



はたらく降雪機

 クリスタッロへ向かうリフトで隣に座った大阪の中村圭江が、前方を指さす。目をやれば岩がゴロゴロしたガレ場に鉄の階段が見えている。ハイカーやトレッカーのためのものだろう。普段なら雪に覆われ何も見えない筈なのに、ドロマイトむき出しの岩肌にかけられた鉄の階段は、春とも夏とも思えるような景観なのであった。

「あれを写真に撮ってえ」
「そういうてもな、カメラはザックの中やで」
「いやあ、ほなもう一度、戻ってぇ」
「はい、はい、戻ってお撮りいたしまっしょい」

 圭江はんはマドンナディカムピリオ以来探索隊に加わった。アオスタリヴィーニョチヴェッタヴァッレ・イザルコと来て、今年は一月コルティナと三月アルタ・プステリーアの両方に参加する。茅野市の楓山一登と同じように、探索隊の行くところ必ず中村圭江の姿が見られるようになったのである。

「行けるところへ、今のうちに行っておきたい」
「それで、続けて毎年。ある年は2回も」
「そ、来れないようなったら、馬場平之助が行く読んで、思い出にするの」

 圭江はんは微笑みながら、静かにそう仰有るのであった。
前方のガレ場に鉄の階段が


小雪のため鉄の階段がむき出しに見える
Cristallo、Cortina d'Ampezzo

トファーナをバックに
Tofana, Cortina d'Ampezzo

ヴェネツィア、サンマルコ広場
Piazza San Marco,Venezia 06Jan2002

朝靄のサンマルコ広場とサンジョルジョ島
San Mraco e Sangiorgio Maggiore  06Jan2002


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