2002年3月、ドロミテは最高の仕上がりで探索隊を迎えてくれた。滞在した5日間の滑走中、
コルティナの1日だけは雪に降られたが、あとの日は全て快晴だった。

好天に恵まれた
アルタ・プステリーアは、家族連れで賑わっていた。スキーが学校の教科に入っているので、スキー教師の後ろに付いて滑るヘルメット姿のチビッ子たちがどこへ行っても目立つのだった。

スキーはしないけど、子供について来る親も沢山いる。そういう親、爺ッちゃん、婆ッちゃん孫どもは、雪だるまの天然テーマパークで遊んだり、眺めのいいレストランで日光浴したり、日がなゆったり休暇を楽しんでいるのだった。

ドロミテはワインもいいが、滑ったあとのヴァイゼンビアが抜群にうまいと、隣に座った爺ッちゃんが教えてくれた。このビールは小麦で造られているそうで、コクも旨味もあって、これ飲んだら、日本のビールは水みたいと思った。

2002年は例年になくイタリアの春が早く、陽が高くなるにつれ、雪もゆるんだ。午前中セストで快適なスキーを楽しみ、太陽の動きに合わせて、クローダロッサ、バランチと移動しながら滑った。

写真の男に会うことを楽しみにしていたが、それは叶わなかった。2年ほど前に亡くなっていたのだ。男の名はオルトナー。パークホテル・ソーレ・パラディーゾの創業者だった。今はあとを継いだ娘のリンダが切り盛りしていた。

オルトナー氏の傍らにいた子供は、リンダの息子。オルトナーの孫で、今は大学生になっていた。写真は15年ほど前に撮ったもので、ホテルを創業した父を偲ぶためにこの写真を掲げていたのであった。
