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「シチリア、空と海は果てしなく青く」の巻、その2
アグリジェント、コンコルディア神殿
Tempio della Concordia , Agrigento Sicilia : Sep 1999

アグリジェント神殿の谷 
Valle dei Templi Agrigento , Sicilia : Sep 1999

 シチリアワイン、ノッツエドーロの愛に充ちたラベルに惹かれて立ち寄った、タスカ・ダ・アルメリータのカンティーナはなかなかよかった。ジュゼッペに別れを告げ、買い込んだノッツエドーロ2ケース(6ケースぐらい買っとけばよかった)をフィアットに積むと、探索隊はアグリジェントへ向けて出発した。

 ナポリを始めとする南イタリアの多くの都市がギリシャの植民によって栄えたように、アグリジェントも紀元前580年、今からおよそ2600年前にギリシャの植民都市として建設された。当時の様子を伺い知る遺跡は、ギリシャよりもイタリアに多く残り、しかも復元保存の状態も良好である。ギリシャ時代の遺跡を見るなら、シチリアと南イタリアへ行くのが正解なのだ。

 アテネのアクロポリスの神殿は確かに単一の神殿としては世界最大だが、神殿を中心として形成される市街の保存状態からすると、アグリジェントの方が数段上であり興味深い。ギリシャのオリンピア、コリント、ミケーネ等も行ったことがあるが、遺跡というものの、殆ど何も保存されていないに等しい。出土した遺物も殆どがアテネの国立考古学博物館や、ルーブルや大英博物館に分散しているのが現状だ。

 ギリシャ世界の光芒は、シチリアへ来れば現在でも至る所に息づいている。アグリジェントの旧市街に広がる神殿の谷は、現存するギリシャ時代の遺跡としては世界一の規模であり、ここを歩いて回るだけでも、優にまる一日が必要だ。陽が落ちて夜ともなると、ライトアップされた神殿が闇の中に浮かび、華やかにして幻想的な雰囲気が醸し出される。初めて行く人は少なくとも一泊はする価値があるだろう。
アグリジェントの神殿の谷を行く

神殿の谷からアグリジェント新市街を望む


神殿の谷の向こうにアグリジェント新市街が
Valle dei Templi Agrigento , Sicilia : Sep 1999

 探索隊は、だが、次の目的地シラクーサへ向けて先を急がなければならない。シラクーサ探索のテーマは二つ。ひとつは円形劇場を中心としたシラクーサのギリシャ、ローマの古代遺跡を訪ねること。もうひとつはGolfo di Noto=ノートの海で泳ぐことである。陽が落ちる前にアグリジェントを出発して、一隊はシラクーサへの残る道のり215kmを走りだすのであった。

 シチリア島と聞いてもピンと来ないだろうが、日本の四国よりも大きく、九州ほどの大きさがある。島といっても距離はそれなりにあるわけだ。パレルモから真っ直ぐシラクーサへ行くなら、パレルモ〜カターニア間205kmの高速道を利用すれば楽だが、途中の寄り道に目的があるのだから、そうもいかない。

 パレルモ〜アグリジェント〜シラクーサを国道で行くと125kmプラス215kmの計340kmだが、それは直線での話だ。探索と同時に飲んだり食ったりしながら、異国の道を一日で走るのだから体力も神経も消耗する。マドンナ洋子が睡魔に襲われ、時々ナビの任務を放棄するようになったのも当たり前かもしれない。
天国の石切場の洞窟、「ディオニシスの耳」


シラクーサ、ギリシャ円形劇場
Teatro Greco , Siracusa Sicilia : Sep 1999

 シラクーサはアテネ、アレキサンドリアと並んでギリシャ世界に君臨し栄た都市である。シラクーサのネアーポリ考古学公園では、ギリシャの円形劇場(15000人を収容できる)、天国の石切場、「ディオニシスの耳」と呼ばれる石を切り出した後の洞窟、ローマの円形闘技場などその栄華の一端をを見て回った。いずれも、2500年を越える人間の営みに想いを至す、堂々たる遺跡であった。

 人類の壮大な営みに感動し、次はオルティジア島=シラクーサ発祥の地へ向かおうとしているとき、NHKイタリア語講座のダリオに出会ってしまった。考古学公園の入り口で、マドンナ洋子が目ざとく見つけると、
「あー、ダリオさんだ」
「あ、ほんとだー」
「きゃー、ダリオさーん」
口々に叫びながら、女どもはダリオの方へ走って行ってしまった。後から追いつくと、 「写真とってー」
「わたしも」
「わたしも」
とねだるので、ダリオに群がる女性隊員の記念写真を撮りながら、危うく人類の営みの偉大さを忘れかけるところであった。

 「今度は、ダリオさんと私だけで撮ってー」 全員が言うので、仰有るようにそれも撮らせて頂きました。恥ずかしい。どーして、こーなってしまうのであるのか。ドン。テレビのイタリア語講座に出ているのを見ているからといったって、きゃーとか飛びつかれるダリオは、こちらを知らないのである。ドン、ドン。

 恥ずかしくて男性はこーいうことはできません。テレビのドラマで見たことあるからといったって、
「礼子さんだ」
「礼子さーん」
とか叫びながら、高島礼子に飛びついたりしてもいいのでしょうか。ドン、ドン、ドン。

 男と女の間には、やはり暗くて深い河があるよーだ、と心の中で思うのであった。思っただけで顔には出さず、その後もオルティジア島からどこまでも青いイオニア海を眺め、旧シラクーサ市街を歩き、ギリシャ・ドーリア式神殿をキリスト教会に改築したという珍しいドゥオモの探索を続行するのでありました。
「ダリオさんと私だけで撮ってー」

シラクーサ、ギリシャ・ドーリア式神殿を改築した珍しいドゥオモ



ドゥオーモ広場、シーラクーザ。映画「マレーナ」の舞台にもなった
Piazza del Duomo , Siracusa Sicilia

 シラクーサでもジュゼッペに出会った。といっても、ノッツエドーロのジュゼッペではもちろんない。オルティジア島のトラットリーア「ペスコマーレ=PESCO MARE」(海の釣りの意)のオーナーシェフだ。 ジュゼッペは1942年生まれで、子供の頃からシラクーサの海で、魚と戯れて暮らしてきた。

 ハンサムな息子のセバスティアーニは32才。ジュゼッペが厨房で腕を振るい、セバスティアーニが接客して二人で店を切り盛りする。厨房の中に少なくとも三人はいるだろうと思ったのだが、中を見せて貰うと、ジュゼッペ一人で厨房を賄っていたのであった。二人とも働き者である。どこへ行ってもイタリア人はよく働き、俗説が誤りであることを証明してくれる。

 ドゥオモ広場にほど近いVia S.Landolinaに面した「ペスコマーレ」の石の門をくぐると、奥行きのある中庭が続いている。昼は程良く風が通って日陰になり、夜は満天の星の下に、テーブルを並べて食事ができるようになっている。

 この石の門と、中庭の風情、真紅のクロスの上に重ねてセットされた、真っ白なテーブルクロスのバランスがいかにもいい。ガイドブックにも載っていないが、「ペスコマーレ」の魚介料理は抜群と言ってよく、味もヴォリュームも申し分ない。あまりいいので昼、夜続けて通ってしまったほどである。またまた、探索隊がやりました。初めて来た町で見つけたとは思えない内容が、イタリアグルメ探索隊推奨の☆☆☆なのでありました。

 シチリアの空と海はどこまでも青く、レストランはどこまでもおいしくて安かった。ウニもコッツエも食べてリングイーネ・アラマリナーラやらグリリア・ミスティ、フリット・ミストやらをフルコースで食べて、飲んで、ジェラートもカフェもドルチェもいって、払ったのはせいぜい三千円から四千円未満の金額である。

「おいしいーっ」
洋子が叫ぶと、ソムリエハラダが 「食事がきちんと楽しめて、こんなにしっかりしたワインが飲めて、お値段は坪八と一緒です」
静かにコメントするのだった。


トラットリーア「ペスコマーレ=PESCO MARE」

左から三番目、白のTシャツがジュゼッペ

ハンサムで働き者な息子、セバスティアーニ


アグリジェント、コンコルディア神殿
Tempio della Concordia , Agrigento Sicilia : Sep 1999

シラクーサ、ギリシャ円形劇場
Teatro Greco , Siracusa Sicilia : Sep 1999


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