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「シチリア、空と海は果てしなく青く」の巻、その3
シラクーサ、円形劇場の一部
Teatro Greco , Siracusa Sicilia : Sep 1999

 シラクーサの海でジュゼッペは、子供の頃から魚と戯れて暮らしてきた。彼のオルティジア島のトラットリーア「ペスコマーレ=PESCO MARE」で思い切り飲んだり食べたり、すっかりいい気持ちになって、ここらでちょっと昼寝でもしたいがそうもいかない。シラクーサ探索のもうひとつのテーマ、「Golfo di Noto=ノートの海」で泳がねばならないからだ。

 ノートの海で泳ぐ初めてのジャッポネーゼになって、ギネスブックに載せて貰う。日本を出るときの計画を、ワインで陶然となった頭で思い出し、シラクーサから30km程南の「能戸の海」へとフィアットを走らせるのであった。

 眼前に広がる「能戸の海」は穏やかで、緩やかな弧を描く海岸線にはかすかに赤みを帯びた砂浜が続いている。アドリア海のリミニの砂浜はもっと赤かったが、「ノートの海」の砂もキメ細やかで、踏みしめる感触が足の裏にしっとりと柔らかい。

 もうすぐ10月だというのに、海岸には海水浴をする人々や日光浴をする家族連れがいる。シチリアはまだまだ夏気分なのだ。シチリアーノにまじってしばらく波と戯れてから、
「泳ごうか」
「泳ぎますか」
「ワーイ、泳ご、泳ご。わたしの海で泳ごう」
と能戸洋子がいうので全員水着に着替えて海に入る。いや正確に言うと、全員水着になったが、隊長だけはショートパンツを脱いだとき
「馬場さんのパンツ海水パンツみたい。そのままでも大丈夫よ」
と洋子におだてられ、そのまま下着で泳いで、帰るときには乾いた海水パンツにはきかえたのだった。

 それは別として、イオニアの海は果てしなく青く、水は思ったより温かく、寄せる波は静かでそこはかとなくのどかであった。この海が遥か遠い茅ヶ崎の海や、いわきの海や日立の海とつながっている。水平線を見やって、16世紀末に長崎を出て万里の波濤を渡ってきた天正遣欧使節、千重石ミゲルのことを思い浮かべると、ノートの空と海がゆらりざわめくのであった。
ノートの街に到着

よく走ってくれたフィアットと一緒に

ノートの海で波と戯れる


タオルミーナのギリシャ劇場
Teatro Greco , Taormina , Sicilia : Sep 1999

タオルミーナの海
Taormina , Sicilia : Sep 1999

タオルミーナで泊まったホテル、エクセルシオール・パラス。カターニア門のすぐ近くで便利。シチリア、タオルミーナ、
Taormina , Sicilia : Sep 1999


 シラクーサから次の目的地タオルミーナへは、高速道路であっという間に着いてしまう。
「今日は日曜日だから、サッカーの試合がありますよね」
ソムリエハラダが言うので
「そうだな、カターニアならあるんじゃないかな」
とプログラムを調べてみると、カターニア:ナポリ戦があるようだ。イタリアへ来ても探索隊はいつもはスキーで忙しい。それに、たいてい週末に日本を出て、次の週末には日本へ帰る日程なので、カルチョのある肝心の日曜日にイタリアにいたためしがない。

 シチリア探索隊はスキーしないから時間はたっぷりある。丁度いいので、サッカーを見ることにした。タオルミーナのエクセルシオールへ到着したのが午前十一時。荷物をとりあえず部屋に置いて、ソムリエハラダ、能戸洋子の三人で朝来たアウトストラーダをカターニアへ引き返すことになった。

 イタリアは高速料金が安い。シラクーサからタオルミーナへ着いたとき、ゲートで2万5千と聞こえたので10万リラ出してお釣りを貰う。係員が声を出しながら1万、2万とお札を一枚づつ呉れる。洋子がナビ席でそれを受け取るのだが、7万リラ、8万リラ、9万リラ、千、2千、3千といつまでもこちらに返してくれる。全部返してくれるのか、それとも両替してるのだろか、と思ったら、高速代はたったの2千5百リラ(約170円)だったのだ。

 安い。それにしても安い。イタリアの高速代はタダみたいなもんである。それに引き替え、日本はべらぼうである。久しぶりにイタリアを走って思い出したが、日本の高速代は、ボッタクリである。その上いつも渋滞するのは全くもってユルせない。
穏やかなGOLFO DI NOTO=「ノートの海」

「泳ごうか」「泳ぎますか」「ワーイ、
泳ご、泳ご。わたしの海で泳ごう」

ノートの海で泳ぐ初めてのジャッポネーゼ



 スターディオ・チーバリへ着いたのは13時半。試合が始まるのは14時半だから未だ充分時間がある。サッカー場の前に駐車場があるが一台も車は停まっていない。
「早く着きすぎたかしら」
「未だ、一時間もあるからなあ」
「うーん」
 サッカー場のフェンスの日陰に駐車しているポリツィアに入場券売場を尋ねると、場所を教えながら
「でも、試合は4時からだから未だ開いてないけどね」
「えー、2時半だって聞いて来たんだけど」
「いいじゃない、食事してから来れば」
「そうだな、そうするか」

 ということで、カターニアのリドへ行って食事することにする。軽く食べてゲームが始まる16時にはスターディオへ戻ろうということだ。海岸まで走り、たまたま入ったリストランテ「ARAGOSTA ROSSA=赤い伊勢エビ」、これもなかなかのもので、すっかり、三人でワインを二リットル。ウニ食べて、マリナーラ食べて、グリリアミスティもいってる内に、予定の時間はあっという間に過ぎてしまう。

 スターディオへ戻るのにカターニア市内の一方通行に手こずって、チーバリに辿り着いたのは、試合開始10分経過の16時10分だった。入場券売場は閉まっているし、鉄のゲートは行く手を阻む。立ち往生していると、関係者が入場するのか、正面ゲートがわずかに開いた。

 その間隙を縫うように、チーバリの前にたむろしていたオヤジやガキどもが場内へと殺到したのである。この機を逃がしてはならじと、隊長、ソムリエ、洋子の三名もゲートの隙間から突入しました。が、そうはさせじと中からは、警備のオッサンたちがワラワラと湧きだして、必死の形相、汗だくになりながら全速力で突進してくるではありませんか。
「お、やば」
と一瞬立ち止まって状況把握に集中すると
「こわーい」
と洋子がしがみつくので、追う者と追われる者のどちらにも属さない安全で中間的なポジションを確保しようと努めたのであった。しかし、長年イタリア人と付き合ってきたが、こんなに必死に走るイタリア人を見たのは生まれて始めてでありました。

 やがて、ひと騒動収まってこちらの存在に気が付き
「あらら、このチネーゼ(中国人)たちはナンだ」
「オラ、なにしてんだ」
「イヤ、オラ達は切符買いたいんだけど、ビリエッテリーアが閉まってて」
横でマドンナ洋子がすかさず
「試合を見せて、おねがーい」
とウインクする。

 イタリア人は美人に弱い。なかでも東洋系の美女には全面的に弱い。先程まで鬼神もたじろぐ形相でタダ入りの連中を追いかけ回していたのが嘘のよう。
「分かった、いいから入れ」
「でも、切符が」
「いいから入れ。オレが招待する。オスピティ(招待客)だ」
と責任者とおぼしき貫禄のオッサンが言うのだから、実に美人は得である。

 では、先程まで、さんざん追いかけ回して、場外へ放逐する行為はナンだったのか。と思ったが、試合は始まっているし、思いがけずお代も払わず試合が見られる。文句言うのはやめにしてホームの特等席に陣取ったのであった。

 われわれがカターニアを応援したのは言うまでもない。が、折角招待されて応援もしたのに、カターニアが善戦むなしく、0-1でナポリに破れてしまったのは、返す返すも残念であった。


カターニアvsナポリ戦

ホームの特等席から観戦、しかもタダ







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