イタリア・シチリア旅行記。パレルモからエリミ人の建てたセジェスタの神殿を巡り、山上都市エリチェから海を隔てたカルタゴを望む。
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「シチリア再び。セジェスタ、エリチェ」の巻
セジェスタ、ドーリア式神殿。紀元前5世紀に建てられた
Tempio(BC5), Segesta Calatafumi, Trapani, Sicilia :October 2000

セジェスタからの眺め。シチリアの日差しは、まだ夏 
Segesta Calatafumi, Trapani, Sicilia :October 2000

 十月とはいえシチリアの日差しは、未だ夏のままである。ここでは十月半ば過ぎでも海で泳げるし、真夏は40度を越すことからすれば、かえってしのぎやすい時期とさえいえる。

 そもそも、常夏の国シチリアには四季がない。日本では夏、秋、冬と巡るのが当たり前だが、シチリアには秋と思える季節がなく、厳しい冬も存在しない。穏やかな冬は、日本でいえば晩秋程度であるかもしれない。

 99年に続いて00年、再びシチリアを探索することになった。前年見ることができなかったシチリアの西側を見てみたかったのだ。シチリアの西海岸の見どころというのはエリチェ、トラーパニ、マルサーラなどである。

 六泊八日もすればシチリアすべてを見て回れると考えていたのが、完全に甘かったのだ。パレルモ二泊、シーラクーザ二泊タオルミーナ二泊では、あっという間に終わってしまい、見たい所があちこちに残ってしまうのである。

 シチリアは奥が深い。先へ進めば進むほど、どこまでも行きたくなる。もっとも遺跡や博物館を見る合間に、ワイナリーへ寄ったり、サッカー観戦したりするんでは、いくら時間があっても足りるわけがないんですけどね。

 パレルモから南西75kmほどの所にセジェスタの神殿があると初めて聞いたのは、もう30年も前のことだ。以来、セリヌンテやアグリジェントに対立するエリミ人が建てたセジェスタの神殿を、いつかは尋ねてみたいと思ってきた。

 パレルモから西へクルマを飛ばして丘陵地帯をいくと、ポツンと山の上に建つ神殿が見えてくる。この時代の聖所はどこも高いところにあり簡単には近づけない。山の麓の駐車場からも、長い道を登らねば辿り着けない。

 龍舌蘭とオリーブの木が両側に植えられた参道を、人々に混じり登っていく。遠くから見えた神殿はこの登り道では見えない。一旦姿を見せたのに、また隠れてしまうのだ。

 人々は強い日差しをものともせず、雲を見上げながら一心に歩いていく。年寄りならちょっとキツイかなと思う頃、カーブした道の先に神殿は忽然と現れる。

 紀元前五世紀頃、エリミ人によって建てられたドーリア式神殿は、ほぼ完璧なまま2500年の時空を越え立ち続けている。背後は岩山に囲まれ神殿の他は何もない。ここへ来るためには、今来た道を通るしかない。

 エリミ人たちはいったい何故、こんな場所を選んで神殿を建て、聖所として崇めてきたのだろう。考古学の現在は時間の壁に阻まれ、謎の全てを明らかにはできていないようである。

 風雨に耐えたセジェスタの神殿を眺めながら、ひとときを過ごせたのは感銘深かった。神殿を後にし参道を下りながら見渡すと、雲の動きが急に早くなり、青い空を塗りつぶし始めているのであった。
龍舌蘭とオリーブの木が植えられた参道。
遠くから見えた神殿は見えない。

歩いていくと神殿は忽然と現れる。


セジェスタ、ドーリア式神殿。
Tempio(BC5), Segesta , Sicilia :October 2000

神殿は、ほぼ完璧なまま2500年の時空を越えて

 セジェスタから次なる目的地、エリチェへ向かう。エリチェは同じくエリミ人が建てたという山上都市である。トラーパニを目指し、海沿いの道へ出ると、海水から塩を製造する昔ながらの塩田が広がってくる。

 トラーパニは海に面し、地中海マグロ漁の基地としても有名である。エリチェはトラーパニから15km程離れた海抜750mの山の上にあるのだ。あたりにはさほど高い山もないので、海から陸地を眺めればこの山上都市はどこからもハッキリと見えるはずである。

 紀元前十世紀には恐らくフェニキアからの先住民族が、険しい崖を天然の要塞とした街を築き始めていたらしい。以来三千年、フェニキア、エトルスキ、カルタゴ、ローマ、ノルマンが時代を継いで、都市を形成してきたという。

 エリチェに着いてホテルを尋ねあてると、オーバーブッキングで部屋が足りないという。別のホテルに部屋を取ってあるから、何人かはそちらへ泊まってくれと言うではないか。ったく、どうなってるんだ。フェニキアの末裔は。

 しかし、まぁ、こんなことはイタリアではしょっちゅうあること。一々恐れ入ってはいられません。あーそうですかと、大概の日本人がおとなしく受け入れることも、イタリア人は計算済みなのだ。

 押したら押し返してくる相手は面倒なので、押したら素直に引き下がる相手を選ぶのである。そう簡単にへこまされては面目が立たない。正当性を主張して闘ってみよう。

 代わりのホテルは直ぐ近くのいいホテルだからというので、それなら、後から来る人間をそちらへ回せ。オーバーブックしたからといって、われわれをはじき出すなと粘り通す。

 すったもんだのひと悶着をなんとか納めて、荷物を部屋へ運び込んだら急に腹が減ってきた。朝早くパレルモを出てから、二時を回るというのに何も食べてない。街へ出てヴィアヴィットリオ・エマヌエーレの真ん中で見つけたリストランテ="Il Tulipano"で腹ごしらえ。

 シチリアワインでカルタゴ風のクスクスを食べることにした。交易を得意としたフェニキア人たちが行き来したというだけあって、クスクスは本格的で、さすがエリチェなのであった。

 腹ごなしの後、早速街に出る。人影もまばらで静けさが戻った石畳の細い道を辿り、ドゥオーモとノルマンの城を見て回る。城壁に囲まれた街はさほど大きくなく、歩いて回るにはちょうどいい大きさである。

 人気のない小さな路地を進んで角を曲がった途端、数人の日本人に出会った。日本製のバイクを置いて撮影中なのであった。はるばる日本からシチリアのエリチェまで、コマーシャルの撮影に来たのだという。

 エリチェは中世の街がそのままタイムスリップしたような街である。近年人気が高まり観光客が押し寄せると聞いていたが、わざわざ遠い日本から、撮影に来る程知られるようになったのだろうか。

 セジェスタを出る頃、空から低く垂れ込めていた雲が、エリチェの街を覆い尽くしている。トラーパニ門を出てノルマンの城を巡る頃には、雨滴が頬を打つようになってきた。

 雲の動きは急で、海を覆うように広がり始め、半島の先には黒い雲が厚く垂れ込めてきた。遠くに煙る大地には、雨がひときわ激しく降り注ぎ始めているようであった。

 エリミ人たちは豊壌の女神をまつる聖なる土地としてエリチェを選んだという。この山上から見下ろす海と山と平野の混然とした眺めには、確かに崇高な気配とでもいうべきものを感じるのであった。


エリチェ:ホテルを尋ねあてると、
オーバーブッキングといわれた 

マトリーチェ教会と鐘楼

IL Tulipano で食べたクスクス


雲は街と海を覆うように広がり始め、半島の先には黒い雲が厚く垂れ込めて。
Vista da Erice, Trapani ,Sicilia : October 2000


セジェスタの神殿をバックに

Erice, Trapani Sicilia : Ottobre 2000

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