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「シチリア再び。マルサーラからセリヌンテへ」の巻
ドンナフガータのワイナリー(マルサーラ、シチリア)
Donna Fugata ,Marsala Sicilia : Oct 2000

風にはためくドンナフガータ旗の下に何やら書いてある

 イタリアワイン発祥の地、シチリアはマルサーラのドンナ・フガータで、ワイングラス片手に、日も高くないのにホンワリと。あれもいい、これもいいのお代わりテースティング。こちとら、朝からすっかり幸せ気分。

 幸せなのはよろしいのだが、朝から真っ赤なゆでダコ状態が困りもの。少し風にでも当たろうか。フラフラ庭へ出てみれば、風にはためくドンナフガータ旗の下に何やら書いてある。

 近づけば、壁にはイタリア語とドイツ語で短い書き付け。まあ、元々ドイツ語は得意だから、苦手のイタリア語の方で読み解いてみようかと、ちょっと酔っぱらった勢いで読み上げる。

「L'Italia,senza la Sicilia
non lascia alcuna
immagine nell'anima :
qui cominca tutto.
   J.W.Goethe Viaggio in Italia」

 フーム。なに?どうやら、ゲーテの言葉であるようだな。どれ、どれ。ン?

「イタリア、シチリアなしでは
心に何らの印象も残さない
シチリア、ここから全ては始まる。」
   (ゲーテ、イタリア紀行。馬場平之助訳)

 というように読めますなぁ。うーむ。なるほど。ちょっと、大げさかもしれんけど、確かにシチリアに来ると、そういう気にもなりますワね。

 いつも持ち歩いている岩波文庫版、「ゲーテ、イタリア紀行」相良守峯訳では、「シチリアなしのイタリアというものは、われわれの心中に何らの表象をも作らない。シチリアにこそすべてに対する鍵があるのだ」となっている。

 壁に書いてあったドイツ語の方は、この訳に近い。ま、ゲーテがドイツ語で書いたものを訳してるんだから、当たり前だけどな。

 愉快なのは、イタリア語に翻訳するときに、「シチリアにこそすべてに対する鍵があるのだ」を、「シチリア、ここから全ては始まる」としてしまうところだ。さすが、イタリアーノらしく自信に満ちて大胆ではありませんか。

 こんな言葉を中庭の壁に掲げておくドンナフガータのセンスもなかなかであるが、いっそのこと、わたしなら、こう書いてしまうでしょう。

「イタリア、ドンナフガータなしでは
心に何らの印象も残さない
ドンナフガータ、ここから全ては始まる。」
    (馬場平之助、イタリア探索隊がいく)


 ドンナフガータのワインですっかり、頭脳も眼球も回転し、自己解放された後は、そのような気になっても、全く不思議ではないと思うのでありました。



セリヌンテ、アクロポリスの丘から
Selinunte Castelvetrano Trapani Sicilia : Oct 2000

乾いた白い道のカーブの向こうには
Tempio 'E ',Templi Orientali ,Selinunte : Oct 2000

 マルサーラをあとにして一行はセリヌンテへ向かう。セリヌンテはエリミ人のセジェスタに対抗して栄えたギリシャ植民都市である。セジェスタ山中孤高の神殿に比べ、セリヌンテは海に面した大きな都市であった。

 セリヌンテとセジェスタの抗争は激しさを増し、セジェスタがギリシャを味方に、セリヌンテはシラクーザを後ろ盾に果てしなく続いた。エリチェを攻められたエリミ人は、カルタゴを援軍にして戦ったがついには敗れ去る。

 勝利したセリヌンテも結局はカルタゴに滅ぼされた。アクロポリスの丘に登ると、海は水平線の彼方まで穏やかで、夏雲の下にうち捨てられたセリヌンテの遺跡が広がるのみである。乾いた白い道のカーブの向こうには、ひとり巨大な神殿がぽつねんと立っている。

 遺跡が発掘されたのは十九世紀以降のことだという。二十世紀半ばに復元されたヘラを祀った神殿の他は、誰を祀ったのかも分からず名前も付けられない神殿が、A神殿B神殿C神殿とか呼ばれて瓦礫の山をなしている。発掘復元は続いているが、人智も及ばず読み解けぬ時空は埋もれたままなのだ。

 何という時空。2000年という気の遠くなるような時間を経て、イギリス人考古学者が発掘するまで、何があるか分かぬままだったのだ。数々の神殿群も採石場として使われ、地震で崩れ埋もれたまま見捨てられていたらしい。

 人々はセリヌンテの遺跡を巡り、地震で崩れた厖大な建造物の瓦礫の山をよじ登り、飛び越えながら、埋められない時空と人の生き死にの深淵を覗きこむのである。

 遺跡中を歩き回って、争うことの愚かさ、世の無常を知る頃には、そろそろお昼の時間。「限りある命。腹が減るのは生きてる証拠。今の内にうまいもの食って、おいしいワイン飲まないとナ」という隊長の独り言を聞くや、全員小走りにクルマに向かって移動し始めるのであった。



1950年代に復元された、ヘラを祀る神殿(BC560〜540)


 セリヌンテの海辺、ヴィア・マルコポーロで見つけた、リストランテ・リド・アッズーロもなかなかよかった。入り口は質素で海岸べりで見かける海水浴客用のレストランみたいだが、中へ入ると、これがどうして、窓の下に海が見える爽快レストラン。

 シチリアではもっぱら魚介に徹して食べてきたので、ここでも先ずアンティパスト(前菜)にリド・アッズーロ特製のカジキのカルパッチョを頼むのが正解。味はスモークが程良くかかって抜群だし、なにしろ気前よく大皿に盛りつけられたボリュームが感激もの。

 続いてプリモも赤白パスタ二種類。マグロを香草とオリーヴ油と白ワインで味付けた、見た目はなんつーこともないパスタだが実にうまい。赤いパスタの方はコッツェ(ムール貝)、エビ、イカをトマトソース、香草、オリーヴオイルと白ワイン少々で味付けしたパスタ。こっちも文句ないお味と大皿の盛りつけが小気味よい。

 ウェイターが取り分けてくれたパスタを、二種類食べたらもう満足。チマチマした東京のイタリアレストランの盛りつけに慣れてしまった胃袋では、とてもこの大皿盛りつけ一本勝負に太刀打ちできないことが分かった。

 いや、イタリア料理本来の安くてヴォリューム満点、かつヘルシーな食事を満喫して、リド・アッズーロは久しぶりに探索隊推奨の☆☆☆でありました。イタリア料理はこうでないといけません。

 値段は高くて、盛りつけちょっぴりのイタリア料理なんぞで本家の教えに背いていると、凋落したフランス料理の轍を踏むことになりますぜ。東京のイタリアレストランは、すべからくシチリアへ行ってここんとこを、も少し見習って来なさい。






Selinunte, Castelvetrano,Trapani ,Sicilia : Ottobre 2000

Selinunte, Castelvetrano,Trapani ,Sicilia : Ottobre 2000


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