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「セストリエーレで[板を踏む]開眼」の巻

 ヴァッレ・ダアオスタ州のスキー場を中心にこれまで紹介してきたが、その隣のピエモンテ州にも素晴らしいスキー場群がある。

 トリノを州都とするピエモンテ州は北側でヴァッレ・ダアオスタ州とスイスに接し、西側はアルプスを挟んでフランスに、南側もアペニーニ山脈と三方を山に囲まれている。唯一東側はポー川流域の肥沃な大平野が、ミラノを州都とするロムバルディア州へと広がっている。

 アオスタを貫流するドーラバルテア川もこのポー川に流れ込む。中央部の丘陵はブドウ畑が多く、「なかなかいい」のBaroloバッローロや「これもいい」のBarberad'Alba=バルベッラ・ダルバ、Barbaresco=バルバレスコなどのワインを多種生産している。

 セストリエーレピエモンテ州の代表的なスキー場のひとつであり、ワールドカップの開催地として有名であるが、日本では全く知られていないに等しい。実際行くまで、本やパンフで見るだけだったので、高くくっていたのだが、行ってびっくり見て仰天であった。

 セストリエーレの村は標2035m、MonteSises2658m=モンテ・シーセスとMonte Banchetta2823m=モンテ・バンケッタの二つの山腹に展開するスキー場である。基点の2035mから標高差1800m、滑走可能距離は120kmというからなかなかのものである。しかし、これだけではなかった。実は、まだまだこの奥がありました。

 セストリエーレはVIA LATTEA=ヴィア・ラッテア(ミルクの道、英語ならMILKY WAYで「天の川」のこと)と称するスキー場群のひとつである。

 ヴィア・ラッテアに属するスキー場は六つある。Sansicario=サンシカリオ、Cesana=チェザーナ、Sauze d'oulx=ソーズ・ドウ、Claviere=クラヴィエーレ、Montgenevre=モンジネーヴル(仏)がそれである。

 ヴィア・ラッテア・スキーパス一枚で、全てのスキー場を滑走可能で、総延長は400kmというから嬉しいではありませんか。



 セストリエーレへ向かう車がマルペンサ空港を出て一時間程、アオスタのスキー場へ向かう高速道A4を走り、途中からSS24でトリノの北側を抜けて、ピエモンテの渓谷へ入っていく。

 結構暗い道を(イタリアではそれが普通だが)暫く行くとセストリエーレの村に着く。ここは、夜間照明にメインバーンが浮かび上がり、イタリアのスキー場には珍しい雰囲気を醸し出している。
「おー、ナイターがあるのか?」と一瞬思ったが、そんな筈はない。イタリアに限って間違ってもナイターはありえない。

 ジャポネーゼはスキー場にナイターがないと聞くと、びっくりするが、「日本じゃ夜になっても照明つけてスキーする」と言えば、イタリアーノは目を丸くして驚く。

 なんたって、イタリアーノがスキーに行くとなると、セッティマーナ・ビアンカ=settimana bianca(白い週間)である。最低でも一週間休みを取って六泊ないし七泊が基本である。

 イタリアのスキー場はどこもでかいし、すいている。一週間もいて昼間の内に30kmも40kmも滑ってしまえば、どーして夜に滑るのか理解できないのは当たり前かもしれない。

 アフタースキーをイタリア語でDopo sci=ドーポシーと言うが、スキーが終わればフルコースとワインのディナーが待っている。食事のあとはディスコやバールで夜更けまで盛り上がってるのに、ナイターなんか誰も来やしない。
「何が悲しくて、景色も見えない暗闇に明かりともして、滑らなアカンの」となりますワね。

 日本じゃそれだけ日中に滑るのは先ず無理である。だから、夜まで滑りたい気持ちも分からなくはない。何しろ、最も多いパターンが日帰りか週末の一泊二日なんだから、なんたって時間が惜しい。
「夜だって滑んなきゃ、渋滞する道を苦労してきたカイがねーだろ」おっしゃる通り、あなたの気持ちもよーく分かります。

 昼飯だって、こちらがラーメンかカレーでさっさとすませて、マジメに滑ってもせいぜい10km、15kmがよーやくである。むこうは昼からキッチリ喰って、ヴィーノもしっかり飲んで赤い顔でのったらしてても30km、40kmである。うらやましいなぁ、ホントに。

 日本は豊かな国で、反対にイタリアは貧しい国、と教えられてきたが、来てみれば彼らの方がよっぽど豊かで、日本人の生活はまだ未だ貧しいという気がするのは錯覚なのだろうか。



 セストリエーレに到着した翌日三月八日は、雪が降っていたので、足慣らしにセストリエーレのメインバーンを中心に軽く滑ることにして、九日からは本格的な探索を開始した。

 このセストリエーレ探索隊の中で終始先導を務めたのは、最も遠い国から来た男、庄司年治であった。SJ読者の庄司は北海道の最果て稚内からやって来た。

 庄司は稚内から家族の住む旭川経由で札幌〜成田まで出発前日に移動、イタリアに辿り着くのに丸二日半を費やしている。

 「イタリアスキーはどうも自分に向いてるみたいだ」
というインスピレーションが、このページを読む内に湧いてきたという変わった人なのだが、滑ってるより呑んだり食ったりしてる方が多いこちらと違って、なんせ生まれも育ちも北海道。普段からやたら滑ってるもんで、まあ元気印で健脚なことは並ではない。

 ヴィア・ラッテアのスキー場の何処へ行っても、
「あー。ここは旭岳と同じ高さなんだなぁ。旭岳のテッペンにリフトかけてスキーしてるようなもんなんだねぇ」とひっきりなしに感嘆しながら滑る滑る。

 こちらがヘタって「そろそろお茶かなぁ」と思ってるのに、予測に反して全く休まない。何かぶつぶつ言いながら、どんどん探索を続行し、先へ先へと急ぐのであった。

 耳を澄ますと吐く息吸う息で「ゼンザンセイハ。ゼンザンセイハ」と唱えているようで、どーも「全山制覇」つまり、ヴィア・ラッテア400kmの完全走破を目論んで、念仏のように唱えているよーなのであった。

 おかげでこちらは「ゼーゼーハッハ。ゼーゼーハッハ」と息を切らしながら、必死に後を追わなければいけない。結果として、庄司と同じだけ滑ったことになる。

 セストリエーレへ戻る最終のフニヴィアへ時間ギリギリに滑り込む毎日で、いつの間にか「板を踏む」という感覚が分かってしまったのだから念仏も有り難いではありませんか。

 今まで聞いてもなんのことかよく分からなかったのに、セストリエーレを庄司と滑ってる内に、ついに板を踏む動作感覚の開眼を得てしまったのであった。

 しかし、丸五日間毎日朝八時半から夕方六時まで滑ったのに、遂にモンジネーヴル(仏)を走破することは断念せざるをえなかったのである。惜しくも全山制覇一歩手前までいったのだが、滞在五日間では達成できなかったわけで、ヴィア・ラッテアは滑っても滑っても終わりがないスキー場群だったのである。




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