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「アズリッシモが今年は開催されない?!」の巻

 大晦日の紅白は所どころ見た。わけの分からない歌ばかりで、都はるみの出ない紅白なんて全部見る気はとてもしない。だから、時々、チャンネルを合わせて見たわけである。ここ数年派手な衣装と空中浮遊が流行らしく、衣装と舞台装置に二億だ三億だと信じられない金をかけると聞くと、いったい日本って本当に不況なのだろうかと疑いたくもなる。

 後世、間違いなく「平成大恐慌」と称されるに違いないだろう。長い地を這うような日本の低迷にもかかわらず、それだけの金を思い切りよくつぎ込めるのは、歌は別として見上げた胆力と言っていい。余程将来の回収に自信があるか、自棄のやんぱちでなければできない芸当だからである。歌手なら歌で勝負しろよと言いたいところだが、ま、歌では人の胸を打てない分、派手な衣装や装置で飛び回って驚かせてくれるのだと思えばいいのかもしれない。

 正月二日。年明けを知らせる恒例の箱根駅伝が湘南海岸を通過していく。二日に往路、三日に復路が競われ、先程、十一時過ぎ茅ヶ崎海岸を順天堂大が先頭で通過して行ったところだ。一年の計は元旦にあり。一日遅れだが、今年の行動予定を並べてみる。

 新春の八日から、イタリアスキー探索隊は、十月号で予告したアラッバを拠点としてドロミテスーパースキー に挑戦する。最新の積雪情報では、暮れの21日に軽い降雪があったものの、コルティナで5-25cm。ヴァルガルデナ10-30cm。アルタ・バディーアで15-40cm。肝心のアラッバが20-60cm、意外に積雪が少ないようで心配になる。おまけに、セッラロンダはクローズしているようなのだ。

 地球温暖化をくい止め、寒い冬、適度な降雪、快適なピステが保証されるなら、今年も微力ながら深夜のコンビニは利用しない。缶ジュースもペットボトル入り飲料も飲まない。缶ビールも飲まない。けど、瓶ビールは許して、お願い。かわりに元々あまり吸わない煙草はもっと減らすし、自動販売機は決して使いません。深夜テレビも夜更かし電気も水道水の無駄遣いも致しません。

 だから、こちらがアラッバ入りするまでになんとか、どかどか降ってパウダーバーンになって欲しい。行ったらどんどんセッラロンダが滑れるように、毎日ずーっと晴れててほしいと初詣で祈った。が、果たしてどうだろう、次号、アラッバの報告に乞うご期待。


 三月のイタリアスキー探索隊はデボラ・コムパニョーニのホームゲレンデ、ボルミオを滑る。ボルミオはミラノを州都とするロムバルディア州ヴァルテッリーナ地方ソンドリオ県に属するスキー場である。滑走可能距離は85km、標高差が1800mというダイナミックなスケールを誇っている。標高1225mの街から、ボルミオ2000を中継点にしてフニヴィア二本で、3012m地点のCima Bianca=チーマビアンカ(白い山頂)へ運んでくれる。

 2000年のワールドカップ最終戦は1995年に続いて、またしてもボルミオに決まったというからスキー場としての水準、規模はどこにも負けない世界の折り紙付きというわけだ。村上由利子のメールによれば来年の三月中旬に行われるワールドカップ最終戦は、アルペンがボルミオとサンタカテリーナ。クロスカントリーがサンタカテリーナ。スノーボード、フリースタイルがリヴィーニョ。複合のジャンプと距離がサンモリッツで行われるとある。

 ボルミオは古くから由緒あるテルメ=温泉湯治の街として栄えてきた。スキーライフの充実度が満点で、アフタースキーで温泉に入ってくつろげるのはここだけだろう。更にいいのは近隣のサンタカテリーナリヴィーニョのスキー場も同時に楽しめることだ。スイスのサンモリッツだってその気になれば一日ツアーが可能だが、一週間くらいの滞在ではとてもそこまで足は伸ばせない筈だ。ヴァルテッリーナのスキー場群がそれだけ充実していることの証明と言える。ついでだが、リヴィーニョがタックスフリーの買い物天国であることはあまり知られていない。

 デボラコムパニョーニの生まれ故郷サンタカテリーナボルミオに隣接するスキー場だ。最初にボルミオを訪れた83年当時、この二つのスキー場が連繋してひとつのスキー場になる計画があると聞かされた。村上由利子にこの話をしたら、
「今でも同じこと言ってますよ」
というのだった。あれから十六年過ったが一向に連絡してひとつになる気配はない。

 イタリアーノのこうした夢のような話を、こちらは呆れて馬鹿にしがちだが、それは間違いである。ローマで暮らしていた75年頃、空港の一角に未来を示す縮尺模型が、ガラスケースに入れられ展示されていた。いつまで経っても実現しない空港の模型を見る度、計画倒れと笑って馬鹿にしていたが、後にそれが大きな間違いだとしらされた。

 サッカーのワールドカップが90年にイタリアで開催され、ローマの空港施設や街へのアクセスは飛躍的に改善される。驚いたのは殆ど全てがこの模型通りに作られていったことである。80年に日本へ帰国してから十年後に、こちらの浅薄短慮をなんとも見事に思い知らされたのであった。

 高速道路網や都市計画や市街地の造形形成を見ても、彼らの計画性は決して侮れない。どころか、逆に学ぶべき点が多いと思う。ちなみに日本で始めて名神高速道路を建設する際、技術者はイタリアへ行って太陽の道を視察しているし、設計建設に当たってはイタリア人技術団の指導を受けたそうである。

 イタリアーノにはきちんとした青写真があって、時間は掛かってもそれを実現していく計画性がある。毎日何かを破壊し新しいものが作られていくアナーキーな東京を見ていると、時間がかかりすぎてまだるっこしいが、これが彼らのペースというものなのである。


 ゴールデンウイークはアズリッシモ12に参戦するつもりであった。ところが、暮れの内にイタリアスキークラブのテキパキ美人高玉ゆき子と電話で話していたら、急に思い出したのか
「あ、そうだ。来年はアズリッシモありませんよ」
キッパリ言うではありませんか。
「わわ、おワワ、ガーン。ナヌ、なんでだ。アイヤ、どーしてだ」
と思わず意味不明の叫びを上げてしまったのだった。

 アズリッシモ事務局からイタリアスキークラブ宛に、99年のアズリッシモ12は開催しないと正式な知らせがあったという。たまちゃんから転送されてきたファックスには確かに、今年の開催は中止、2000年に延期する旨が記されていた。恐れていたことがついに現実となってしまったのである。

 こうなると98年のアズリッシモ11に参戦しておいてホントによかったぁと思う。アズリッシモ12のかわりなんてありっこないが、今年のゴールデンウイークはとりあえず、未だ行ったことがない氷河マルモラーダのレーシングキャンプにでも参加して来年に備えるしかないか。




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