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「幻となったナカタのパルマ:キエーヴォ戦」の巻
パルマのサッカー場=エンニオ・タルディーニ前で入場券を片手に
Parma : Stadio Ennio Tardini : 03 March 2002

 ワールドカップサッカー疾風怒濤の2002年6月が終わってしまった。日本列島を覆い尽くしたひと月の熱狂は沈静し、充実の空気が薄まっていく。何よりも試合の放映に合わせて毎日早く帰る必要がなくなってしまったのが寂しい。

 トルコに惜敗、日本ベスト16の成績は、フランスワールドカップ予選リーグ敗退を思えば、立派なものである。一点に泣いたところが口惜しいといえば口惜しいが、回り中がサポーターの中での敗戦。実力以上を出し切っての敗退であったといえるだろう。

 それよりも、四面楚歌のスタジアムの重圧の中、CKから日本守備陣の一瞬の乱れを突いて得点に結びつけ、攻撃を凌いだトルコをこそ褒めるべきなのだろう。その後のトルコの戦いぶりを見れば、納得のいく結果だったと言うべきなのかもしれない。

 自動車部に所属していた学生時代、同学年の男子部員が自分を含め3人いた。あとの二人は名門戸山高校サッカー部出身で、大学でもサッカー部に所属していた。歴史の浅い学校で、学生の半分が女子、少ない男子学生は掛け持ちで部活動をしていたのだった。

 そんなわけで、サッカー部の対外試合がある
と応援に行き、打ち上げコンパにも部員同様参加していたので、OB会名簿に名前を連ねている。だから、自分でボールを蹴ったことはないのに、口だけはコーチなみ、監督にだって負けない。

 ベルギー戦で先行された直後、鈴木の同点ゴール、続いて稲本。ナカタ、小野、柳沢、稲本、鈴木、森島、明神、戸田、市川、中田、宮本、森岡、松田、楢崎、みんな、よくぞ攻め、よくぞ守りぬいてくれた。宮本には鼻骨折が直っても、ゴムバンド仮面でピッチに立って欲しい。

 トルコ先制にもナカタは淡々としてチームを鼓舞して立派だった。歴史と勝負にイフはないが、監督代行としてはサントスを前半で下げずに、もう少しピッチで走らせてみたかった。

 トルシエの笑顔を今回のワールドカップで初めて見た気がした。素直になったトルシエは飛び上がったり笑ったり、急速に老けてしまったように見えた。互角に戦ったとはいえ勝負に負けた日本。戸田や市川大介が泣いていた。雨がひとしきり激しく日本代表の上に降りかかった。
 

イタリア独立の英雄、ガリバルディ広場
Piazza Garibaldi : Parma Italia

 イタリアの敗退は審判の公正に翳りを与えた。クロアチア戦でヴィエーリのゴールが、オフサイド判定(後にFIFAは誤審を認める)で取り消されたり、韓国戦終盤でトッティがシミュレーションのジャッジを受けて退場となった(後にビデオで身体的接触があったと認める)のは、素人目にも強引すぎる判定であった。

 イタリアがクロアチア戦で取り消された2点の内、少なくとも1点はゴールの筈だと主張したのも正しいと思う。あとから、誤審を認めるFIFAの発表があっても、もうワールドカップは終わってしまい、後の祭りなのだ。

 FIFAのコメントにもあるように審判も人間、誤審がないとはいえない。殆どの判断が正しく、誤審は許される範囲だとされたが、四年に一度の大舞台で、公正の前提をあからさまに崩すような韓国寄りの判定が、イタリア戦のみならずスペイン戦にも続いたことは禍根を残した。

 相撲だって物言いがついて取り直しがあるのだから、サッカーも写真判定やビデオによる瞬時の判定を可能にするシステムを真剣に開発すべきではないだろうか。もっとも、物言いが多すぎて、なかなか試合が進まなくなるのは困りますけどね。
 

パルマ、ドゥオーモと洗礼堂

時計の針を今から四ヶ月ほど戻した3月2日。探索隊はマルペンサ空港から一路パルマの街を目指していた。ドロミテスーパースキー7番・アルタ・プステリーアへ行く前に、パルマのナカタを見るためである。

 イタリアでスキーするときは、日本を土曜日に出て、そのままスキー場へ直行することが多い。つまり、日曜日には山の中にいることが多い。帰国のときもイタリアを土曜日に出国して日曜に到着することになる。休暇を効率よく取るためだが、ゲームが日曜日に行われるセリエA観戦には、これは甚だ不都合である。

 ピッチに立つナカタをこの目で見る為には、日曜日にパルマにいなければならない。一行が、直接スキー場へ入らず、パルマで二泊したのは、3月3日に開催される、パルマvsキエーヴォ(ヴェローナ)戦を観るためなのだった。
Parma Duomo

ホテル スタンダール 


Pizzeria La Duchessa : Parma

 実のところ、中部イタリアエミーリアロマーニャ州のパルマの街はわれわれにも縁遠い存在であった。ナカタがペルージアへ移籍する前の日本で、ペルージアを知る人が少なかったように、彼がローマから移籍する前にパルマを知る人はさほど多くなかったにちがいない。

 スキーのついでに行くにはペルージアもローマも遠すぎた。しかし、パルマなら位置的に寄ることができる。こうしてナカタがパルマに移籍した瞬間、探索隊のパルマ行きが決まったのだった。観戦券も然るべく手配してあった。

 運命の糸に手繰られ、一行はパルマへ到着したのだが、いきなり聞かされた言葉にわが耳を疑った。聞き違いかともう一度確認したが、どうもキエーヴォの選手が交通事故で、試合がなくなるとか、中止になったとか言ってるようなのだ。ここまで来て、なんという不運。隊長は手にした観戦券を思わずハラリ取り落とし、その場にガックリ膝をついてしまうのだった。
パルマといえば、パルメッジャーノ

パルマを流れる Torrente Parma 河

 翌朝、諦めきれないで、スターディオ・タルディーニまで出かけたが、門は閉ざされ入場もできやしない。スターディオの外から手を合わせ、スランプに苦しむナカタの不調脱出を祈願する。その場で観戦券を手に残念撮影したら、隊員たちはいつもの癖で、ついニッコリ笑ってしまうのであった。

 隊員たちの落胆は大きかったが、隊長が見つけたピッツェリーアに入るや、全員ワイン片手に、「うまい」「おいしい」「なかなかいい」を連発。パルメッジャーノのピッザを頬ばって素早く立ち直ってしまうのであった。

 ナカタが移籍しなかったら、パルマへ来ることもなかったかもしれない。そう思いながらこじんまりして豊かなパルマの町をのんびり探索する。小さな街とはいえ立派な国立博物館があり、半日がかりで見ることができたのは価値があった。付属の美術館でレオナルドダヴィンチの絵を見つけたのも嬉しかった。

 試合は結局、3月13日の水曜日に延期となり、11日に帰国したので見ることができなかった。しかし、試合そのものはなくなったわけではなく、券を持っていけば観戦できるので、払い戻しはされない。こうして、観戦券は手に残され、ピッチに立つナカタは幻となってしまったのであった。
リストランテ コルサーロ (海賊)
Ristrnante Pizzeria Al Corsaro

パルマといえば、プロシュート 

海賊だから、魚貝もうまい。


パルマ、国立考古学博物館
Parma : Museo Archeoiogica Nazionale

レオナルド・ダ・ヴィンチ


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