2004年2月最後の週、イタリア北部は豪雪に見舞われていた。アルプスやドロミテばかりでなく、ボローニャやトスカーナも、交通が麻痺するほどの大雪が降ったのだ。二月最終土曜日、全山制覇の野望を胸に秘め、探索隊は静かにセストリエーレへと旅立った。

セストリエーレを基点に、初めてヴィア・ラッテアを探索したのは98年のことである。毎日朝八時半から夕方六時まで、まる五日間滑ったのに、遂にモンジネーヴル(仏)を走破することができなかった。今回は再挑戦である。

初日、二月二九日は、サウゼドールを滑ることにしていた。セストリエーレのハードバーンをいきなり滑るのもキツイだろうし、長旅のあとは睡眠不足と時差で疲労が溜まっている。先ずはゆっくり足慣らしと思っていたら、ワールドカップコースは滑らせてくれないという。

セストリエーレは翌週からのワールドカップ最終戦に備え、大回転、回転、滑降のコースには既にネットが張られていたのだった。一般スキーヤー立入禁止のバーンでは、軍隊がせっせと整備に励んでいる最中なのであった。

最初に二本だけ、Tバーリフトに乗ってみた。調子はよさそうだ。セストリエーレとサウゼドールを繋ぐテレキャビン目がけて、一気に滑り降りていく。誰も滑った痕跡がない朝一番のピステ。長旅の疲れは消し飛んでしまった。

サウゼドールは基点の村で標高1509m、山頂部は2507mである。標高差1000m、滑走距離130kmのスキー場はセストリエーレよりも大きいくらいだ。山頂部は開放的なアルプスの山並みに中級斜面が無数に設えられ、滑るにつれ下部に広がる林間コースへと導かれていく。

至る所にオフピステが存在し、リフト待ちではボーダーも目立つが、広大な斜面はその存在を忘れさせてしまう。一行はサウゼドールをゆっくりクルージングしながら、徐々に調子を整えていくのであった。

午前中三時間、休憩なしで足慣らしに専念。昼に差し掛かって、ピアン・デッラ・ロッカのレストランで昼食。山小屋とはいえ、ズッパ・ディ・ヴェルドゥーラの味は、探索隊推奨の☆☆☆なのでありました。

午後三時半まで快調にサウゼドールを滑った一行の意気は軒昂であった。この分でいけば、全山制覇も夢ではない。セストリエーレ110km、サウゼ・ド ゥール130km、サンシカリオとクラヴィエーレを合わせて110km。それにモン ジネーブルを加えて400kmと、次々に現れるピステを走破し続け、全山制覇を成し遂げるのだ。

イタリア北部の悪天候を考えると悠長にはしていられない気がした。もし明日、目が覚めて晴れていたら、モンジネーブルまで一気に滑ってしまおう。隊長の腹は決まっていた。身体の奥で、全山制覇の四文字が音もなく燃えているのであった。
