クラヴィエーレへ渡ったからといって、すぐにモンジネーブルへの近道があるかというと、そうは問屋がおろさない。登っては滑り、滑っては上るを、しっかり繰り返さなければ辿り着けないしかけなのだ。

そもそも、どのスキー場も単独でスキーヤーを満足させる設計になっているのだから、それも当たり前である。全山制覇を唱えてセストリエーレから来るなんてのは滅多にいない。近道もないのかと焦ってもダメなのである。

クラヴィエーレを滑って、ようやくモンジネーブルに到着すると、ここはヴィア・ラッテアスキーパスでは滑れないと言われてしまった。なんてこった。しっかりと追加料金を払わされてしまうのだ。さすがフランスである。

ま、それでも天気はいいし、雪も斜面も抜群だ。夢中でクラヴィエーレとモンジネーブルを滑っていたら、いつのまにか時計の針は13時を回ってしまったのだった。ホントにお茶もしてないのにである。

一瞬、もうこの時間では昼食ってたら、セストリエーレへ辿り着けないかもしれないと思った。おもむろに「本日、昼食なしで帰投を開始する」と言おうと思ったのだが、言う前に「えーっ」「エーッ」「いくらなんでもあんまりだ」「鬼や〜」の声が聞こえてきた。

ついくじけて、昼食は30分だけと言ってしまったのが、実に悔やまれる。これで殆どセストリエーレまでは帰り着けないだろう。だが、メシも抜きでは探索隊の評判も地に落ちる。やむなく、簡単に昼食をすませて、2時近くにクラヴィエーレへと戻り始めたのであった。

雪質はセストリエーレよりもいいくらいである。もう帰るだけだからと、どんどん飛ばしていて途中でふと気がつくと、アレレ、目白銀嶺の木村頼子とイタリアスキークラブの柏木佑の姿がないではありませんか。

しばらく次のリフト乗り場で待ってみたが現れない。おかしいなぁ。探しに戻れば、全員セストリエーレへ帰還する目はなくなってしまう。丁か半か、一か八か。福引きの玉みたいに、ポンと結論を出しました。

二人を見捨てることにしたのだ。と言うと人聞きが悪い。二人なら自力で帰還できると判断したと言いなおそう。なにしろ、木村はイタリアスキー六回目。セストリエーレも二度目のスキーヤーなのだ。その上柏木はイタリアスキークラブのスタッフで、イタリア語もできる。どこからでもタクシーひろって帰るくらいはできるにちがいない。

なんとかして本隊だけでもセストリエーレへ帰りつかないと、前回の雪辱が果たせない。モンジネーブル制覇に賭けてきたのに、むざむざ、迷子のジャポネーゼ集団になってしまうわけにもいかないのであります。

しかもまた、クラヴィエーレからの谷渡りのながい長いリフトが待っている。それだけではない。その後もう一本チェアリフトがあって、その次には、また山越え谷越えのTバーに、20分以上はつかまっていなければならない。

来るときチェザーナの谷底へ滑り降りてきた分だけ、登らなければならんのを忘れていた。時計の針はリフトに乗っている間にも刻々と進んでいく。やっと、サンシカリオの端っこに辿り着いたときには、四時を回ってしまったのであった。もうサンシカリオは越えられない。
「残念ながら、もはやここまで」
「えーっ。セストリエーレに」
「ふにゃ、帰れないかもしれないな」

あー。危うし探索隊。刀折れ矢尽きし探索隊の運命はいかに。置き去りの木村頼子と柏木佑はいずこ。このまま全員行き倒れで、サンシカーリオの土となってしまうのだろうか。
