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「セストリエーレから国境を越えてモンジネーブルへ」の巻、その壱
セストリエーレ、後光が差すモンテ・ヴァンケッタ、イタリア
Sestriere , Piemonte , Italia : Marzo 2004

雪と青空が目に眩しい。サンシカーリオ、ピエモンテ
San Sicalio, Via Lattea, Piemonte , Italia : Marzo 2004

サンシカーリオ、イタリア、ピエモンテ、ヴィア・ラッテア
San Sicalio, Via Lattea, Piemonte , Italia : Marzo 2004

 快晴のサウゼドールを滑った一行の調子は上々だった。セストリエーレ110km、サウゼ・ド ゥール130km、サンシカリオとクラヴィエーレで110km。モン ジネーブルを加えた400kmの一角を走破し、全山制覇への一歩を踏み出したのである。

 一方イタリア北部アルプスやドロミテでは大雪で道路が閉鎖されたり、送電線が切断されて大停電が起きたりしていた。だが、ピエモンテ一帯には幸運の女神が居続けているようだった。快晴の朝を迎え、窓から見えるモンテシーセスには後光が差していた。

 今日こそモンジネーブルまで一気に滑ってしまおう。一行は、8時40分のシャトルでセストリエーレへ。リフトの前でストレッチングするや一番乗りで上がるのだった。上から眺めるとセストリエーレの全景が朝日に映えていた。誰もいないバーンをサウゼ・ド ゥールへのテレキャビン乗り場へ滑り降りていく。

 サウゼ・ド ゥールへ着いたら一番左のコースでサンシカリオを目指すのだ。暫く滑ると左側にサンシカリオへ渡るTバーがある。このTバーは途中で山を巻いて、大きく曲がって結構長い。途中でコケそうになってドキッとした。

 ようやく登り切るとサンシカリオ、クラヴィエーレを見通せるポイントに到着する。陽の光りを浴びて柔らかな山並みが美しい。雪と起伏の織りなす陰翳がコントラストをなして青空が目に眩しい。

 サンシカリオからはチェザーナのサインボードを追って行く。いくつも尾根を越えて、75番、73番のピステを少しづつチェザーナの谷へ向かって滑り、最後にパリオルから谷渡りのリフトに乗るのだ。歌でも歌わないと間がもたないくらいこのリフトも長い。おまけに超ゆっくりだが、クラヴィエーレへ渡るにはこれしかない。

 その上、途中で乗り換えがある。丘を越え谷を渡るうち、いつしかリフトは谷底へと下ってついに、ラコンバで道路に面した広場へ着地してしまうのだ。そこは駐車場になっていて、バスも停まるし、チェザーナに泊まるスキーヤーの、クラヴィエーレやサンシカーリオへの登り口にもなっているのである。

 ラコンバで下りると、次は道路や川の上を越えてクラヴィエーレへ渡るリフトがかかっている。計ってみると、このリフト二本で谷を渡るのに小一時間かかるのだ。往復すれば一時間半だが、景色眺めて歌っていたので、まったく気にもしていなかったのだ。呑気なものである。


サンシカーリオからクラヴィエーレへ
San Sicalio,Claviere, Piemonte , Italia

イタリア、ヴィア・ラッテア、クラヴィエーレへ
Claviere, Via Lattea, Piemonte , Italia

イタリア、ヴィア・ラッテア、クラヴィエーレ
Claviere, Via Lattea, Piemonte , Italia

 クラヴィエーレへ渡ったからといって、すぐにモンジネーブルへの近道があるかというと、そうは問屋がおろさない。登っては滑り、滑っては上るを、しっかり繰り返さなければ辿り着けないしかけなのだ。

 そもそも、どのスキー場も単独でスキーヤーを満足させる設計になっているのだから、それも当たり前である。全山制覇を唱えてセストリエーレから来るなんてのは滅多にいない。近道もないのかと焦ってもダメなのである。

 クラヴィエーレを滑って、ようやくモンジネーブルに到着すると、ここはヴィア・ラッテアスキーパスでは滑れないと言われてしまった。なんてこった。しっかりと追加料金を払わされてしまうのだ。さすがフランスである。

 ま、それでも天気はいいし、雪も斜面も抜群だ。夢中でクラヴィエーレとモンジネーブルを滑っていたら、いつのまにか時計の針は13時を回ってしまったのだった。ホントにお茶もしてないのにである。

 一瞬、もうこの時間では昼食ってたら、セストリエーレへ辿り着けないかもしれないと思った。おもむろに「本日、昼食なしで帰投を開始する」と言おうと思ったのだが、言う前に「えーっ」「エーッ」「いくらなんでもあんまりだ」「鬼や〜」の声が聞こえてきた。

 ついくじけて、昼食は30分だけと言ってしまったのが、実に悔やまれる。これで殆どセストリエーレまでは帰り着けないだろう。だが、メシも抜きでは探索隊の評判も地に落ちる。やむなく、簡単に昼食をすませて、2時近くにクラヴィエーレへと戻り始めたのであった。

 雪質はセストリエーレよりもいいくらいである。もう帰るだけだからと、どんどん飛ばしていて途中でふと気がつくと、アレレ、目白銀嶺の木村頼子とイタリアスキークラブの柏木佑の姿がないではありませんか。

 しばらく次のリフト乗り場で待ってみたが現れない。おかしいなぁ。探しに戻れば、全員セストリエーレへ帰還する目はなくなってしまう。丁か半か、一か八か。福引きの玉みたいに、ポンと結論を出しました。

 二人を見捨てることにしたのだ。と言うと人聞きが悪い。二人なら自力で帰還できると判断したと言いなおそう。なにしろ、木村はイタリアスキー六回目。セストリエーレも二度目のスキーヤーなのだ。その上柏木はイタリアスキークラブのスタッフで、イタリア語もできる。どこからでもタクシーひろって帰るくらいはできるにちがいない。

 なんとかして本隊だけでもセストリエーレへ帰りつかないと、前回の雪辱が果たせない。モンジネーブル制覇に賭けてきたのに、むざむざ、迷子のジャポネーゼ集団になってしまうわけにもいかないのであります。

 しかもまた、クラヴィエーレからの谷渡りのながい長いリフトが待っている。それだけではない。その後もう一本チェアリフトがあって、その次には、また山越え谷越えのTバーに、20分以上はつかまっていなければならない。

 来るときチェザーナの谷底へ滑り降りてきた分だけ、登らなければならんのを忘れていた。時計の針はリフトに乗っている間にも刻々と進んでいく。やっと、サンシカリオの端っこに辿り着いたときには、四時を回ってしまったのであった。もうサンシカリオは越えられない。
「残念ながら、もはやここまで」
「えーっ。セストリエーレに」
「ふにゃ、帰れないかもしれないな」

 あー。危うし探索隊。刀折れ矢尽きし探索隊の運命はいかに。置き去りの木村頼子と柏木佑はいずこ。このまま全員行き倒れで、サンシカーリオの土となってしまうのだろうか。



クラヴィエーレからモンジネーブルへ
Claviere, Via Lattea Italia

クラヴィエーレ、ピエモンテ、ヴィア・ラッテア
Claviere, Via Lattea Italia : Marzo 2004

モンジネーブル、イタリア、フランス国境へ
Montgenevre, France : Marzo 2004

モンジネーブル、フランスへ
Montgenevre, France : Marzo 2004


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