そそくさとモンジネーブルでの昼食を切り上げ、セストリエーレへ帰り始めた探索隊は、しかしクラヴィエーレで木村頼子と柏木佑を見失ってしまう。それでも全山制覇にかける一行は、二人を見捨てサンシカリオへと急いだのだが。
クラヴィエーレからの谷渡りのんびりリフトに阻まれ、チェアリフトやら山越え谷越えのTバーにつかまっている間にも時計の針は刻々と進む。サンシカリオの端に辿り着いたときには、既に四時を回ってしまった。もうサンシカリオは越えられない。
「残念ながら、もはやここまで」
全員ついに行き倒れでサンシカリオの土になってしまうのか、とガックリきたが、途中でタイムアウトでは致し方ない。人里を探して助けを求めるしかないだろう。一番近いサンシカリオへ滑り降りて、そこから、セストリエーレへ帰る方法を探すのだ。
途中コースの下にロッジが並ぶ集落が見えたが、直接サンシカーリオのインフォメーション目指してまっしぐらに滑った。基点まで降りると、すぐ左手にスキースクールがあったので、何はともあれ飛び込んでみたのだった。
「あの、あの、ここから、セストリエーレへ」
「帰りたいのかね」
「そうです、そうです。朝早くモンジネーブルまで行ってその帰りなんだけど」
「ここまで来たら、時間切れになった」
「そうです。そうです。なんとかなりませんか」
「みんなで、何人いるんだね」
人数聞くなんて、もしかしたらセストリエーレまで送ってくれるのかもしれない。なんて親切。やっぱ、好きだなぁ、イタリアーノ。
「えと、えと、全部で15人。いや、二人迷子を見捨てたから13人。いや、ひとりは最初からセストリエーレに残ったから12人だ」
「そんなにおおぜいじゃ車には乗せられないな」
喜んで正確に人数を報告したのだが、どうやらスタッフにセストリエーレの住人がいるらしく、二、三人なら乗せていってあげようと思ったという。残念、無念。
結局、サンシカリオからまたチェザーナトリネーゼの街まで降りて、セストリエーレへの連絡バスに乗れば帰れることが分かった。バスが出るまでの半時を、バールのホットワインでほっと一息ついたのであった。
サンシカリオのバス停でアジア人の集団が、同じバスに乗り合わせた。日本人のような顔かたちだが、話しているのは福建語のようだ。どこから来たのか尋ねると、台湾から来てチェザーナ・トリネーゼへ泊まっていると言うではありませんか。
いや、驚きましたね。台湾の人もスキーするんだ。行ったことないけど、台湾に雪降ったっけ?スキー場はあったっけ。まさか、ピエモンテの山奥でアジア人の大集団に出会わすとは思ってもいなかったのだが、いやはや、なかなか台湾の人たちも頑張っているのであります。