トップページへ
COLUMN
イタリアスキー探索隊
イタリア探索マップ
ドロミテ探索隊
アオスタ探索隊
シチリア探索隊
トスカーナ探索隊
南イタリア探索隊
イタリアワイン探索隊
イタリアに行くならご用心!
コラムバックナンバー
日本国探索隊
探索隊写真館
探索隊お勧めレストラン
探索隊に参加する

「セストリエーレから国境を越えてモンジネーブルへ」の巻、その弐
ヴィア・ラッテア、セストリエーレからモンジネーブルへ
Sestriere , Piemonte , Italia : Marzo 2004

クラヴィエーレからモンジネーブルへ、イタリア、ピエモンテ
Claviere, Via Lattea, Piemonte , Italia : Marzo 2004

 そそくさとモンジネーブルでの昼食を切り上げ、セストリエーレへ帰り始めた探索隊は、しかしクラヴィエーレで木村頼子と柏木佑を見失ってしまう。それでも全山制覇にかける一行は、二人を見捨てサンシカリオへと急いだのだが。

 クラヴィエーレからの谷渡りのんびりリフトに阻まれ、チェアリフトやら山越え谷越えのTバーにつかまっている間にも時計の針は刻々と進む。サンシカリオの端に辿り着いたときには、既に四時を回ってしまった。もうサンシカリオは越えられない。
「残念ながら、もはやここまで」

 全員ついに行き倒れでサンシカリオの土になってしまうのか、とガックリきたが、途中でタイムアウトでは致し方ない。人里を探して助けを求めるしかないだろう。一番近いサンシカリオへ滑り降りて、そこから、セストリエーレへ帰る方法を探すのだ。

 途中コースの下にロッジが並ぶ集落が見えたが、直接サンシカーリオのインフォメーション目指してまっしぐらに滑った。基点まで降りると、すぐ左手にスキースクールがあったので、何はともあれ飛び込んでみたのだった。
「あの、あの、ここから、セストリエーレへ」
「帰りたいのかね」
「そうです、そうです。朝早くモンジネーブルまで行ってその帰りなんだけど」
「ここまで来たら、時間切れになった」
「そうです。そうです。なんとかなりませんか」
「みんなで、何人いるんだね」

 人数聞くなんて、もしかしたらセストリエーレまで送ってくれるのかもしれない。なんて親切。やっぱ、好きだなぁ、イタリアーノ。
「えと、えと、全部で15人。いや、二人迷子を見捨てたから13人。いや、ひとりは最初からセストリエーレに残ったから12人だ」
「そんなにおおぜいじゃ車には乗せられないな」

 喜んで正確に人数を報告したのだが、どうやらスタッフにセストリエーレの住人がいるらしく、二、三人なら乗せていってあげようと思ったという。残念、無念。

 結局、サンシカリオからまたチェザーナトリネーゼの街まで降りて、セストリエーレへの連絡バスに乗れば帰れることが分かった。バスが出るまでの半時を、バールのホットワインでほっと一息ついたのであった。

 サンシカリオのバス停でアジア人の集団が、同じバスに乗り合わせた。日本人のような顔かたちだが、話しているのは福建語のようだ。どこから来たのか尋ねると、台湾から来てチェザーナ・トリネーゼへ泊まっていると言うではありませんか。

 いや、驚きましたね。台湾の人もスキーするんだ。行ったことないけど、台湾に雪降ったっけ?スキー場はあったっけ。まさか、ピエモンテの山奥でアジア人の大集団に出会わすとは思ってもいなかったのだが、いやはや、なかなか台湾の人たちも頑張っているのであります。


ヴィア・ラッテア、クラヴィエーレ、イタリア、ピエモンテ
Claviere, Via Lattea, Piemonte , Italia : Marzo 2004

ヴィア・ラッテア、モンジネーブルへ
San Sicalio,Claviere, Piemonte , Italia

 サンシカリオを走り出して、次の集落に差しかかると、見たようなウェアを来た男がちらっと前方を走ったような気がした。
「アレレ、あれは柏木ではないの」
「エ、まさか、こんなとこで」
「イヤ、まさかのまさかだね」

 はぐれたあと木村頼子と柏木佑は、後を追ってクラヴィエーレからチェザーナの谷を越えてサンシカリオへ渡り、本隊がセストリエーレ帰還を断念した場所から、やはり、サンシカリオへと向かったとのだいう。さすがである。

 滑り降り始めて最初に見たサンシカリオ手前の集落で彼らは、チェザーナまでバスに乗ろうとしていたのだった。やっぱり、だてに六度もイタリアスキーに来てたわけじゃない。薄情な隊長に置き去りにされても、独力で生還の道を探り当てる。見上げたものである。

 チェザーナトリネーゼの街へと向かっていくと、朝から何度も行き来した、谷渡りリフトが道路に着地するラコンバの広場をまた通った。これなら最初からあきらめて、ここからチェザーナの街へ出ても同じだったのだが。

 そうこうするうちに街中に入り、台湾グループはドヤドヤと降りていき、バスの中はガランとしてしまった。おかしいなぁ。まだなのかなぁと不安になって確かめると、「あ、そうか、お前たちはセストリエーレへ行くんだっけ。それなら、二つ手前のバス停で降りないとな」などと言うのであります。ンとに。これだからな。イタリアーノ。

 セストリエーレへ乗り換える所で降ろしてくれと頼んでおいたのに。あとから台湾グループが大挙して乗り込んだら、少数民族のことはお忘れになってしまう。ったく、もう。お願いしますよ。


ヴィア・ラッテア、クラヴィエー、モンジネーブル
Claviere, Via Lattea, Piemonte , Italia

ヴィア・ラッテア、クラヴィエーレ、モンジネーブル
Claviere, Via Lattea, Piemonte , Italia

 朝からの行動を振り返ると、スタートは動き出すリフトを待って朝一番。サウゼ・ド ゥールからサンシカリオへは直行。クラヴィエーレを見通せるポイントで、朝の陽に映える山並みの写真撮ってる時間が余分だったのかもしれないが、ここはイタリアアルプスなのだ。

 コースの途中で思わず足を止めて見惚れる場面がなかったら、なんのためにイタリアくんだりまでやって来たのか分からない。おまけに昼飯は30分である。あとはひたすら滑っていたのにこの結果なのだ。ヴィア・ラッテアは総滑走距離400kmという規模に対して、機動力が太刀打ちできていないという結論になる。

 全山制覇してテレキャビンは一基だけしかなかったし、高速リフトと同じくらいTバーも多かった。もし、サンシカーリオとクラヴィエーレを結ぶリフトがテレキャビンに掛け替えられれば、話は全く違ったものになるだろう。それが無理ならせめて、4人乗り高速クワッドでもいい。全山制覇はグッと身近になるはずである。

 なんて言ってるのは探索隊だけで、イタリアーノはそんなことはあまり気にしていない。ヴィア・ラッテアのスキー場はどれも、現状で十分楽しめるし、全山制覇など企む変わり者もいないのだから、今のところそれはそれでいいわけなのである。



ヴィア・ラッテア、クラヴィエーレ、モンジネーブル
Claviere, Via Lattea Italia

クラヴィエーレのちびっ子達




PAGE TOPに戻る

イタリア個人旅行はイタリア旅行社へ

バール掲示板
リンク
サイトマップ
プロフィール
トップページへ