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「南イタリア、ソレント、アマルフィ、パエストゥム」の巻、その3
世界遺産、アマルフィ海岸。コスティエラ・アマルフィターナ
Costiera Amalfitana : 2002 June

 カプリの青の洞窟の中は心地よく、母の胎内のようだ。闇の中で透明青光りの波に包み込まれるのは、暖かい羊水に浮かぶ胎内回帰である。彼岸へ渡るときの川も、このように青く澄んできらめいているのかもしれない。

 一度は行ってみたかった青の洞窟にすっかり興奮しながら、カプリをあとにしてソレントへ渡る。アマルフィ海岸とパエストゥム探索に向かうのだ。これでカゼルタ、ポンペイを入れて世界遺産四ヶ所を回ることになる。

 ポンペイを訪れるのは三度目となる。おかしな言い方だが、初めて行った30年前と比べれば、街並みは断然整備されたと思う。ヴェスーヴィオ火山の噴火で、埋もれてしまったポンペイの町並みが回復し、噴火以前の賑わいぶりが目に見えるようになったのだ。厖大な人力と予算が注ぎ込まれて、再生は今もまだ続いている。

 イタリア半島を、ナポリ湾からティレニア海の海岸線を南下していくと、ソレント半島のカンパネッラ岬を越えてサレルノ湾が見えてくる。ソレントからサレルノへ至るアマルフィ海岸90kmは、世界で最も美しい海岸線ということで、世界遺産に指定された。

 Costiera Amalfitana=アマルフィ海岸は険しい山がいきなり海に落ちている。砂浜は殆どなく崖から先が直ぐ海である。海岸線は入り組んで、切り立った崖が岬となり、入り江となって続いていく。

 崖の斜面にはへばりつくように、白い家が建ち並ぶ。山並みの緑に映えるどの家も、一度は住んでみたい気を起こさせる。緑の多くは柑橘類で、窓はティレニア海の風が吹き抜けるように開かれ、陽光を浴びて白壁がひときわ眩しい。

 90kmに及ぶ海岸線の崖っぷちを道がくねくねと縫うように走っている。ポジターノからサレルノまでは道が狭く、場所によってはクルマがすれ違うのさえ大変だ。
Pompei : 2002 June

ポンペイ、円形劇場


復旧したポンペイの街並み
Pompei Campagna Italia : 2002 June

陽光を浴びて白壁がまぶしいポジターノ。世界遺産、アマルフィ海岸。
Positano Costiera Amalfitana : 2002 June

切り立った崖が岬となり、入り江となって続く
Positano : Costiera Amalfitana

 ソレントではレンタカーを借りることにした。もちろんイタリア車と言いたいが、何故かオペルのザフィーラ2000なのだ。聞くと、AVISヨーロッパの推奨車はドイツのオペルだという。米系のAVISだからなのだろうか。

 ソレントからパエストゥムの遺跡へは、このアマルフィ海岸をポジターノ→アマルフィ→サレルノと走り抜けていく。オペルザフィーラは快調に飛ばしていくが、対向車線に大型観光バスが現れる度に渋滞してしまう。6月末とはいえ海水浴のナポリターノに加え、国の内外から観光客が集中的にやって来始めているようだ。

 パエストゥムは紀元前六世紀前半から五世紀半ばにかけてギリシャ植民によって造られた街である。遺跡の大きさからも、交易を中心にギリシャ植民都市シーラクーザやターラントと並んで栄えたと想像されている。

  紀元前273年にローマ人に征服されて、ラテン語名でパエストゥムとなったが、元々はギリシャ語でポセイドイアと呼ばれていた。イタリア語ではNettuno、英語ならNeptuneとなる。日本ではネプチューンと言いポセイドンと呼びややこしいが、要するにギリシャ神話に出てくる「海神」である。

 パエストゥムにはドーリア式ギリシャ神殿が三つほぼ完璧な形で残っている。ヘラの神殿、アテナイの神殿、ポセイドンの神殿の三つがそれである。ゼウスの妻ヘラを祀る神殿が一番古く、紀元前550年頃に建設されたと推測されている。アテネの神殿が500年頃、最も新しいとされるポセイドンの神殿でも前450年頃に建てられたという。アテネは芸術学問の女神で、ギリシャの首都アテネの守護神でもある。

 ポセイドンの神殿の前で、赤ん坊をバギーに乗せた若い夫婦に出会ったので、挨拶がわりに「暑いのに神殿を見て回るなんて、あなた達はグレートだね」と言ったら、ギリシャ遺跡が偉大と思ったようで、「ホントにグレートだ」とヘラの神殿へと向かっていった。

 遺跡には後からローマ人が建てた円形競技場や、共同浴場、フォロなどの遺跡も混在している。素人目にはどれがどれやらさっぱり分からないが、パエストゥムは考古学上も貴重な遺跡であり世界遺産にも指定されている。

 パエストゥムは前273年ローマ人に征服され、その後ローマ帝国の興亡と命運をともにした。帝国が支配力を失った紀元後500年頃に、セレ川が氾濫、マラリアや疫病が流行して廃墟となったらしい。

 ギリシャ神殿の遺跡は、どれも青天井で屋根がない。最初から屋根がなかったのか、あったのに崩れ落ちたのか、見る度に考古学的疑問が湧くが、ワインを飲み、うまいものを食っているうちに、さっぱりと忘れてしまう。

 しかし、長年の疑問がパエストゥムで解けた。屋根は元々あったのである。建てられた当時は木の瓦で、後にはテラコッタの瓦が葺かれていたらしい。考古学博物館に行ったら、神殿建設の様子がイラスト付きで解説されていた。

 博物館には他にも発掘の際に出土した数々のテラコッタや壺など貴重な品々が納められている。中でも棺の蓋に描かれたフレスコ画「飛び込む男」は保存状態もよく、色鮮やかで一見の価値があると思った。

 シチリアでアグリジェントやセジェスタ、セリヌンテ等、ギリシャ植民の遺跡を見ると、残るパエストゥムはどうしても見たくなる。西欧文明の源がギリシャにあり、現代世界のすべてが、ここにあるように思えるからだ。

 ギリシャが滅びて以来、自分の神を信じ、他人の神を認めない人間同士の争いは絶えたことがない。キリストとアラーを唯一絶対神と争う現代世界に比べ、神々が共存するこの多神教の世界は、なんとおおらかであったのだろう。
アテナイの神殿、B.C500年頃

アテナイの神殿

ヘラの神殿、ゼウスの妻ヘラを祀る
紀元前550年頃


アテナイの神殿、紀元前500年頃 
Tempio di Athenai : Paestum Capmpagna Italia

パエストゥムの遺跡
Zona Archeologica : PaestumJune 2002

パエストゥムの遺跡
Zona Archeologica : PaestumJune 2002

ポセイドンの神殿
Tempio di Nettuno : Paestum Capmpagna Italia

 カンカン照りつける真夏の太陽の下で、汗かき汗かき、2600年の時空の移ろいと諸行無常を感じたあとは、急に喉が渇いたので海を眺めに行ってみることにした。

 ポジターノ近くアマルフィ海岸のちょうど中心にある村プライアーノ。そこで二つの崖の狭間に小さな海水浴場を見つけた。空の碧さといい、海の青さといい、底の底まで小石が透けて見えるプライアーノの海。崖の上からは肝試しの子供たちが飛び込んでいる。

 海に面したリストランテ・アルフォンソ・ア・マーレ。渇いた喉によく冷えた白ワイン。お腹がすいたのでコッツェにピッザにパスタも頼んでしまう。澄みきった海で泳いで、食事してサンデッキで昼寝したりできるって、いいなあ、イタリア。好きだなあ、イタリア。

プライアーノの海水浴場


切り立った崖が岬となり、入り江となって続く
Positano : Costiera Amalfitana

世界遺産アマルフィ海岸、プライアーノの海水浴場、カンパーニャ州 イタリア
Praiano : Ristrante Alfonso al Mare

アマルフィ海岸、プライアーノの海水浴場、リストランテ・アルフォンソ・ア・マーレ
Praiano : Ristrante Alfonso al Mare



世界遺産、アマルフィ海岸、プライアーノの海、 カンパーニャ州、イタリア
Praiano : Ristrante Alfonso al Mare

切り立った崖が岬となり、入り江となって続く
Positano : Costiera Amalfitana

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