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「トスカーナのスキー場、アベトーネ」の巻

 ジャンピエロ・チッティが尋ねてきた。先週連絡があって、久しぶりに昼飯でも食おうということになっていたのだ。チッティは先月行ったトスカーナのアベトーネから日本に来ているイタリア人だ。

 トスカーナの首都フィレンツェは、世界中の人々に訪れてみたい都市として人気がある。人気のトスカーナだが、中心的な街の殆どが平野部にある。ちなみにフィレンツェの標高は50m、シエナ322m、ルッカは19m。ピサは4mである。そのトスカーナにもスキー場があることは殆ど知られていない。

 山国イタリアを縦貫するアペニーノ山脈はトスカーナ州も貫いていて、高度もあるため冬にはかなりの降雪がある。雪が降るところにはスキー場があり、トスカーナにも立派なスキー場があるのだった。

 ジャンピエロ・チッティが生まれ育ったアベトーネは標高1388m。人口千人足らずの小さな村だが、中部イタリアの避暑地として名高く、冬はスキー客で賑わいを見せるという。フィオレンテイーノ(フィレンツェ人)もシエネーゼ(シエナ人)もスキーするときは、アベトーネにやって来るそうなのである。

 アベトーネはフィレンツェから87km、ピストイアから47km、モデナから92kmのアペニン山中の州境にある。フィレンツェからアウトストラーダA11でピストイアまで行き、SS66とSS12と乗り継げば一時間半足らず行くことができる。

 フィレンツェやピサ、ルッカなどから、シーズン中はバスが運行され、トスカーナだけでなく、隣のエミリア・ロマーニャ州のボローニャやモデナからもバスが出ている。中部イタリアのスキーヤーにとって、アベトーネは気軽に行けるスキー天国というわけだ。

 アベトーネのスキー場はAlpe Tre Potenze(1940m)=アルペ・トレ・ポテンツェとFoce di Campolino(1840m)=フォーチェ・ディ・カンポリーノの山麓に展開している。フニヴィア基点は1388mだが、もうひとつ下の村、Le Regine=1281mから1198m地点までリフトが設置されている。

 最大標高差、692m。総滑走距離54km。頂上部は森林限界を超えているが、コースの大半は数世紀を経た荘厳な樅や赤松などの針葉樹林帯に造成されている。ピステは上級者コースのロッサがフォーチェ・ディ・カンポリーノにある他、中級コースが林間に配置されている。




 ジャンピエロはアベトーネで育つ内に競技スキーの道に入り、長じてからはトスカーナでは珍しいスキー教師をしていたわけなのだ。どうして、そのジャンピエロが日本に住んでいるのかというとは、フィレンツェへ留学していた奥さんの章子さんとの出会ったからである。天が与えた機会を逃さず、章子さんと知り合ったジャンピエロは天が与えたチャンスを逃さず程なく結婚にまで漕ぎ着け、来日したのだった。

 日本に来て先ずスキーインストラクターの仕事を探し、志賀一ノ瀬ビアンカSSの岡戸正人のところで働くことになったわけである。その後、三井物産スポーツのブリコ代表を務め、現在はスイスのサングラスレンズの極東支配人。すっかりビジネスマンになってしまったが、今でも付き合いは続いている。

 黒船襲来文明開化から敗戦進駐軍マッカーサー元帥占領統治と、日本人には白人コンプレックスが身に付いている。そのせいか、白人と見ると、やたら有り難がってチヤホヤするものだから、たいていの外人は増長、不良外人化してしまう。そこのところ、ジャンピエロの場合いつまでも最初の謙虚さを忘れていない。

 食事の後カプチーノを飲んでいると、ジャンピエロのケータイが鳴る。取引先の誰かだろう。流ちょうな日本語で受け答えしている。これだけ日本語を上手に話すイタリア人も珍しい。アリタリアに勤めて先月末で、32年も経ってしまったが、この間来日したイタリア人マネージャーの誰一人として、日本語を話せるようにはならなかった。これも、なかなか感心である。

 いつの間にこんなに日本語ができるようになったのか、最近まで知らなかった。来日して知り合った頃は、勿論日本語なんて話せなかった。二人で話すときは、ずっとイタリア語で話してきた。イタリア語が分からない人に、彼が話す日本語を聞いて驚いた。

 会話の中に中国の地名が出てきたり、中国人の名前があったりするので、聞いてみると、話していた相手は上海のチャイニーズだという。なんと、日本語も国際化した。日本語で中国の上海人と話していたのである。携帯持った中国人と、海の向こうの中国から日本語でイタリア人とが話しているのだ。香港は広東語話すんで、上海人とじゃ話が通じないんで、日本語話す上海人が電話で日本語話すイタリア人に電話していたのだ。




 ジャンピエロは、ますます日本のスキー人口は減ると恐いことをいう。
「やってみると分かるけど、スノーボードは簡単よ。直ぐできるようになるね。でもスキーは難しいじゃない。なかなか上手くなれない。
「ふむふむ」
「そうすると、スノーボードができなくなる年になってからスキー始めるたって」
「そうか、できるようにならない」
「イタリアにはあんなにボーダーがいないよね」
「日本人はスノーボードに向いてるよ。距離を滑らないじゃない。同じ斜面を何回も滑ってるもんね」
「フーム。そう言われると、そうだなあ。」
志賀でインストラクターしていたときは、みんな一ノ瀬のピステを行ったり来たりしてるだけ」
「え、高天や、ほっぽだの行かないの」
「滑れる人は行くけど、レッスンでは行かない」
インストラクターもバイトで神戸から来てたりしてて山を知らないもの、山見て山の名前知らない。」
「そうだなあ、イタリアじゃ山岳ガイドっていうか、スキーのあと必ずパノラマを見せてツアーするもんな」
「今シーズンはどこへ行くの?」

 毎年冬が近づくとジャンピエロがする質問だ。
「うーんと、一月にコルティナプラン・デ・コロネス。三月はアルタプステリーア

 ドロミテばかりの、この答えがジャンピエロを納得させられないことは分かっている。
「アベトーネにはいつ行くの?」
そう問い返されるのがいつものことなのだ。

 「そうだな、ドロミテスーパースキーを一通り滑ったら行けるかな」

 夏の休暇にも冬の休暇にも誘われるのだが、
「ドーポ ペンショナート(退職したら)」
と言っては、毎年過ごしてきた。
「今度はアベトーネに行くことにしたよ」

 そう答えて、ジャンピエロの笑顔を見られるのはいつのことだろう。







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