ジャンピエロはアベトーネで育つ内に競技スキーの道に入り、長じてからはトスカーナでは珍しいスキー教師をしていたわけなのだ。どうして、そのジャンピエロが日本に住んでいるのかというとは、フィレンツェへ留学していた奥さんの章子さんとの出会ったからである。天が与えた機会を逃さず、章子さんと知り合ったジャンピエロは天が与えたチャンスを逃さず程なく結婚にまで漕ぎ着け、来日したのだった。
日本に来て先ずスキーインストラクターの仕事を探し、志賀一ノ瀬ビアンカSSの岡戸正人のところで働くことになったわけである。その後、三井物産スポーツのブリコ代表を務め、現在はスイスのサングラスレンズの極東支配人。すっかりビジネスマンになってしまったが、今でも付き合いは続いている。
黒船襲来文明開化から敗戦進駐軍マッカーサー元帥占領統治と、日本人には白人コンプレックスが身に付いている。そのせいか、白人と見ると、やたら有り難がってチヤホヤするものだから、たいていの外人は増長、不良外人化してしまう。そこのところ、ジャンピエロの場合いつまでも最初の謙虚さを忘れていない。
食事の後カプチーノを飲んでいると、ジャンピエロのケータイが鳴る。取引先の誰かだろう。流ちょうな日本語で受け答えしている。これだけ日本語を上手に話すイタリア人も珍しい。アリタリアに勤めて先月末で、32年も経ってしまったが、この間来日したイタリア人マネージャーの誰一人として、日本語を話せるようにはならなかった。これも、なかなか感心である。
いつの間にこんなに日本語ができるようになったのか、最近まで知らなかった。来日して知り合った頃は、勿論日本語なんて話せなかった。二人で話すときは、ずっとイタリア語で話してきた。イタリア語が分からない人に、彼が話す日本語を聞いて驚いた。
会話の中に中国の地名が出てきたり、中国人の名前があったりするので、聞いてみると、話していた相手は上海のチャイニーズだという。なんと、日本語も国際化した。日本語で中国の上海人と話していたのである。携帯持った中国人と、海の向こうの中国から日本語でイタリア人とが話しているのだ。香港は広東語話すんで、上海人とじゃ話が通じないんで、日本語話す上海人が電話で日本語話すイタリア人に電話していたのだ。 |
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